久しぶりに「衝撃の書ホモデウスを読む」連載の新記事を書かせていただきました。


総じて低い被害状況でも社会的パニックに陥ってしまっている日本のこと、それがワクチンの影響であるにせよ本当の感染拡大がおきてしまえばとんでもないパニック状態に陥るのは避けられないと思われますし、残念なことにそれをいさめる力と発信力があるリーダーが不在であることがこの1年以上の右往左往で、それだけははっきりしてしまっています。
こうなると、個人としては国をあてにして心中するわけにもいかず、最悪の事態、有り体に言えば「飢餓」状態までをも視野にいれて備えざるを得ないというのが実感です。
飽食の現代日本です。「飢餓」なんかばからしいとお考えでしょうか。
そんな方は、ちょっとしたパニック心理からつい1年前に生産量は十分と言われながらも、現実にマスクやトイレットペーパーが店頭から消えた事実を思い出された方が良いように思います。、


「ホモデウス」には大文明そのものの興亡も俯瞰で見れば珍しくないことが書かれています。
歴史は、多くの宗教や帝国や文化が興っては衰えるのを目撃してきた。そのような大変動は必ずしも悪くはない。人間至上主義は三〇〇年にわたって世界を支配してきたが、これはそれほど長い時間ではない。ファラオは三〇〇〇年間エジプトに君臨したし、ローマ教皇はヨーロッパを一〇〇〇年間支配した。ラムセス二世の時代のエジプト人に、いつの日かファラオたちが地上から姿を消すと告げたら、その人はおそらく仰天し、「ファラオなしで私たちはどうして生きられようか?誰が秩序と平和と正義を保証するのか?」と嘆くだろう。中世の人々に、数世紀のうちに神は死ぬと告げたら。、彼らはぞっとして、「神なしで私たちはどうして生きられようか?誰が人生に意味を与え、私たちを混沌から守ってくれるのか?」と嘆くだろう。
振り返ってみると、ファラオの失墜や神の死は、どちらも好ましい展開だった。ユヴァル・ノア・ハラリ(2018-09-06).ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来(Kindleの位置No.1365-1375).河出書房新社.Kindle版.
さすがにコロナを起点に文明崩壊まで至って欲しいとは思っていませんが、歴史を振り返れば最高の繁栄状態からあっけないほどあっさりと滅んでしまった文明はいくらでもあります。インカ帝国などは自分たちでも信じられないうちにあれよあれよと崩壊してしまったわけです。
かつて日本は地政学的にユーラシア大陸と程よく離れていて、文字や金属器、焼物、仏教、法体系など文明の発展に役立つものはどんどん輸入できたけれど、本格的には侵略されないという奇跡のようなポジションを謳歌してきましたが、船舶や航空技術の進化で相対的にその海を隔て距離が意味をなさなくなるやいなや太平洋戦争で歴史的惨敗を期しました。(間に日露戦争での奇跡的勝利を挟みますが、それが結果軍部の不敗神話の暴走を招いたとも言われています)
今まで平穏だと思っていた状態から、ここまで社会が不安定化すると実際何が起こるか誰にも見通せなくなります。
(写真:AC)
いきおい、文明論的な巨視的な視点で世の中を見渡すことが必要な状況と思いますが、論壇を含めてそのような思考法を今の日本人ほど苦手とする民族もそうはいないかもしれません。いわゆる平和ボケと呼ばれる症状で、そんなことを考える必要もないまま何十年、数世代を過ごしてきたという結果だと思います。
そんな日本人の典型的な弱さは、今の政治家の思考停止状態を見ればまさに国民の写し鏡と言えるように思います。


もちろん今回のコロナパニックで一気に文明崩壊まで至る可能性はさすがに1%までないと思っていますし、それを望むものではないですが、仮に1/1000のロシアンルーレットだとしても引き金をひく勇気はありません。
まさにあらゆる想定をしなければという個人版緊急事態宣言の今日この頃です。
一つ思うのは、疾病が何らかの理由によって小康状態から劇症化するにせよ、社会的パニックが制御不能になり飢餓状態まで陥るにせよ、コロナ対策での過激な国家支出がハイパーインフレを招くにせよ、一度社会が焼け野原になってもその先に復興するパターンがむしろメインシナリオではないかということです。
つまり、何らか一度焼け野原になるほど大きな衝撃がありえますが、なんとか無傷で生き残り、再起する際にはたくましくすぐさま立ち上がれるよう備えたいと思っています。
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