【第2回】新企画 衝撃の書「ホモデウス」を読む –「飢饉」のリアリティ

「ホモデウス」を読みだすと、その興味深い視座に読むことをやめられなくなりますね。早速、第2回を始めたいと思います。前回は、人類の歴史はほとんど「飢饉」「疾病」「戦争」との戦いであった。という視点について触れました。今回はそのなかでも「飢饉」についてもう少し詳しく読んでいきたいと思います。

もう少し飢饉と疫病と戦争について語っておく必要がある。私たちがそれらを抑え込みつつあると言うと、とんでもないとか、はなはだ考えが甘いと思う人も多いだろう。ひょっとしたら、無神経だと感じる人もいるかもしれない。毎日二ドルにも満たないお金で食いつないでいる何十億もの人々はどうなのか? アフリカで今も猛威を振るっているエイズは? シリアとイラクでとどまるところを知らない戦争は? これらの懸念に応えるために、まず二一世紀初頭の世界をもっと綿密に眺め、その上で、今後数十年間に人類が取り組むべき事柄を考えてみることにする。

生物学的貧困線 飢饉から始めよう。飢饉は、何千年も前から人類の最悪の敵だった。最近まで、ほとんどの人が生物学的貧困線ぎりぎりのところで暮らしてきた。この線を下回ると栄養不良になり、飢え死にする。わずかなミスや不運が、一家全員あるいは村全体にとって、いとも簡単に死刑宣告になりえた。豪雨で畑の小麦がやられたり、泥棒にヤギの群れを連れ去られたりすれば、おそらくあなたは家族もろとも餓死したことだろう。集団のレベルで災難に見舞われたり愚かな振る舞いがなされたりすれば、大規模な飢饉が起こった。古代のエジプトや中世のインドでは深刻な旱魃に襲われると、人口の五パーセント、あるいは一割が亡くなることも珍しくなかった。蓄えが尽きても、輸送にはあまりに時間と費用がかかるため十分な食糧を輸入できず、統治機関も脆弱過ぎて有効な手を打つことができなかったからだ。 どの歴史書をひもといても、飢えて狂乱した民衆の惨状に出くわさずには済まされない

ユヴァル・ノア・ハラリ(2018-09-06).ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来(Kindleの位置No.121-135).河出書房新社.Kindle版.

先日テレビを見ているとアマゾンのジャングル奥地で一人「電気も、ガスも、水道もない」生活する地元の人からさえ「世捨て人」呼ばれる日系人の方と、そこに弟子入りすうためにやってきた日本人の生活が紹介されていました。
(「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」)

気持ちは分からないではないような気がします。世捨て人になってしまいたいと思った瞬間がある人も少なからずいるのではないでしょうか?

でも実際には、とてもこんな生活我々には無理ですね。ピラニアを捕まえたり木の実を拾ったりするのですが、
一番厳しいと思ったのは、たんぱく質補給のためにネズミの一種をワナで捕獲しようとうするのですが、自給自足の生活ですから、木の枝を編んで作った非常に心もとない仕掛けです。仕掛けて、一晩待ち見に行きますが、案の定仕掛けに一度かかっただろう小動物は逃げていってしまっています。そもそも、仕掛けの場所までがジャングルの中を延々何時間も入ったところなわけです。本人たちも10回に1回しか上手くいかないと言ってましたが、見ているだけで、たちまちお腹が減ってきます。ピラニアだって、簡単に採れる感じではもちろんありません。ジャングルだから、木の実とか果実とかあるだろうと漠然と考えてしまいますが、実際にそのまま採って、食料になるような代物はわずかです。
そこら辺の事情は、先回も紹介しました同じく優れた文明論のベストセラー「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド)にも詳しく書かれています。

「ところが野生の動植物には、狩猟採集して食用に供する価値のあるものは少ない。野生の動植物のほとんどは、つぎにあげる理由のうち少なくともひとつは該当するため、人間の食用に適していない。樹皮などのように人間が消化できないもの。オオカバマダラやテングタケのように毒があるもの。クラゲなどのように栄養価が低いもの、小さな木の実のように料理するのが面倒なもの、昆虫の幼虫のように集めるのが大変なもの、サイなどのように危険で捕まえられないもの。地球上の利用可能な生物資源(バイオマス)の多くは、われわれが消化できない樹皮や木の葉として存在しているのだ。」

当たり前に生まれたときから、現代の都市生活しか知らない我々には、自給自足の生活をなんとなく、キャンプやグランピングのような気分で生暖かく漠然と、まあなんとかなるだろうと考えてしまう気分があるのですが、恐らくこの文明社会が失われた瞬間、我々の生活は強烈な飢えとの戦いになることは間違いありません。他のことはどうでも良くなるはずです。本当の原始時代よりたちが悪いのは、マンモスも野生の鹿やイノシシも都会の周りにはまずいませんし、本当の森ひとつありませんから、アマゾンの世捨て人よりはるかに我々のほうが困った環境に遭遇するはずです。東京湾で釣りをしている人も見かけますが、とてもお腹いっぱいスズキが釣れているようにも見受けられませんものね。

そんな世界想像したくもないのですが、ハリウッドものを中心に海外のドラマや映画を見ていると意外とそんなユートピアの逆、ディストピア的な世界観のものが多いですね。核爆発や病原菌や宇宙人など何らかの原因で、文明社会が崩壊する。その後のサバイバルのストーリーがなんとたくさん作られ、リアルなことか。
日本でもゴジラなどありますが、あの話も文明社会が崩壊するわけではないですものね。やはり「北斗の拳」ぐらいですかね。

なぜ海外と日本で、こんな文明的な世界は長続きしないかもしれない。今の社会が崩壊したときどうなるんだろう?ということに対する興味の度合いというか感受性が違うのか?これはこれで興味深いですね。次回語らせてください。

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