【第5回】衝撃の書「ホモデウスを読む」 「疾病」:生が例外か。死が例外かそれが問題だ。

その答えは、何千年にもわたって不変だった。二〇世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、人々は同じ三つの問題で頭がいっぱいだった。すなわち、飢饉と疫病と戦争で、これらがつねに、取り組むべきことのリストの上位を占めていた。

ユヴァル・ノア・ハラリ (2018-09-06). ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 (Kindle の位置No.90-92). 河出書房新社. Kindle 版.

さて、「飢饉」「疾病」「戦争」から人類は長い間逃れられませんでした。本書にあるように、ほとんどの間人類はこの3つの課題に対処することを生まれてから死ぬまで、かかり切りにならざるを得なかったのです。前回まで見てきた「飢饉」については、農業分野での科学技術の進歩やインフラ、それを支える比較的に安定した社会基盤によって、少なくとも中進国以上の現代社会ではそれを克服しようとしています。
それでは「疾病」はどうでしょうか。

見えない大軍団 人類にとって、飢饉に続く第二の大敵は疫病と感染症だ。商人や役人や巡礼者の途絶えることのない流れで結ばれた賑やかな町は、人類の文明の基盤であると同時に、病原体にとっては理想の温床でもあった。古代アテネや中世のフィレンツェの住民は、翌週、病に倒れて死ぬかもしれないことや、感染症が突発し、一気に家族全滅の憂き目に遭いかねないことを承知して暮らしていた。

ユヴァル・ノア・ハラリ (2018-09-06). ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 (Kindle の位置No.191-195). 河出書房新社. Kindle 版.

「疾病」の恐ろしいところは、目に見えないところでしょう。「飢餓」については、少なくとも食べ物を見つけることが解決になることは、どんな時代の人類にも自明のことであったでしょう。(ただし、それが簡単で十分でないことが常に悩みではあったとして。)
でも目に見えない病原菌やウイルスはどうでしょう。原因がわからないわけですから、まさに神に祈るしかなかったはずです。まして、海で外国と隔てられていた日本と違い、陸でつながっていたユーラシア大陸やヨーロッパの各国は、違う人種の攻勢による未知のウイルス等で、戦争以前に殲滅してしまう例も多々あったようです。

人類は近代になるまで、病気を汚い空気や悪霊や怒れる神のせいにし、バクテリアやウイルスが存在するとは、夢にも思っていなかった。天使や妖精の存在はたやすく信じたが、ちっぽけなノミや、たった一滴の水の中に、恐ろしい命の略奪者の大軍団が潜んでいるとは、とうてい想像できなかった。

現代人の我々にとって、「病」というものは多くが治療可能ですし、治療が難しい「病」であるとしても概ねその原因は科学的に解明されているものが多いはずです。実際に、WHO2018年に発表した平均寿命では、日本が2位のスイスに1歳の差をつけて84.2歳(男女平均)です。中世における平均寿命は、日本でもせいぜい30代。国によっては20代。人口を維持できず、増えたり、減ったりの時代が延々と続いていました。

<死の勝利(ピーテル・ブリューゲル)>

現代日本の我々にとって、「死」はそんなに身近なことではないし、まして若くして死ぬことは例外的なアンラッキーと感じます。ですが、人類の長い歴史のほとんどの期間では、「長く生きる」ことのほうが例外的なラッキーだった時代のほうがはるかに長かったわけです。それが、死生観や人生観、宗教観などあらゆることに影響するのは当たり前と言っても良いのではないでしょうか。

著者のハラリ氏が本書冒頭で伝えたいことは、現代人の我々が当たり前と思っていることが長い時間軸を見たときに、当たり前の前提にならないことではないでしょうか。人類の歴史を振り返ると、現代社会を生きる我々はあまりにも特異な地点にいます。この特別な状況が将来にわたり保証されていれば良いのですが、必ずしもそうでしょうか?「飢饉」「疾病」「戦争」について、我々が今を生きるサピエンス(人類)が。いかにそれまでの歴史と違う例外的な環境に生きているか。現代人がどっぷりと浸っている認識のバイアスを修正し、本論に入る露払いをするのが、本書の冒頭部分の役割なのではないでしょうか。

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