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【第1回】新企画 衝撃の書「ホモデウス」を読む – 人類の歴史はほとんど「飢饉」「疾病」「戦争」との戦いであった。

当サイト「たんさんタワー」を立ち上げて1ヶ月がたちおかげさまで読者の方も少しずつ増えています。
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ここで、またまた新企画を立ち上げたいと思います。企画としてきちんと成立させられるかやや不安な部分もあるのですが、やはりこの衝撃の書のインパクトを少しでも誰かと共有したいという思いもあり、チャレンジさせていただきたいと思います。

最近は、仕事の話でも趣味の話でもなく、世の中や人生、時代をどう考えるというようなカッコよく言えば文明論的な話をする相手に困りますね。仕事仲間のちょっと若手にお茶でもお酒の場ででもそんな話をしようものなら、途端に「ガチなオヤジ」扱いされるようで不安です。我々より上の世代、全共闘世代の巨匠クリエイターなどと飲むと延々そんな青臭い話をする人もいましたが、年代とともにすたれていき、今や余程気の合った仲間内でもない限り軽妙なトークに終始するのがどこでもマナーのような雰囲気です。そんなフラストレーションを受け止めてくれる友人も数少ないがいないわけではないですが、学生時代のように毎晩顔をあわせるというようにもいきません。

そんななんとも世俗的な時代ですが、今ほど真に「考えること」を求められる時代はないでしょう。毎日の生活の中では変化を感じにくいですが、間違いなく激動の時代を我々は生きています。のほほんと生きていると、思いもしなかった未來にたどり着いてしまうかもしれないと感じています。そんなことはどんな時代でも同じだったのでしょうが、変化の振れ幅が大きくアメリカの大統領にも、ローマ法王にも、イーロンマスクにもコントロールできない時代だからこそ、個人として思索を凝らしておく必要があると思っています。
例えば、平成の前半までは昭和から続く鉄壁のビジネスモデルが永遠に続くと思われた、私が関わっているメディアビジネスの世界ひとつとっても、新聞、雑誌は凋落し、インターネットがとって変わりました。テレビという最強メディアでさえ、ネットフリックスやユーチューブ、TikTokなどとの競争が始まっています。変化が変化を呼び、確実な将来を予見することはますます難しくなっていることは間違いありません。私自身、サラリーマン時代はそんな変化に対する分析と戦略も、誰かが考えてくれるものというか自分にすべてを決める権限もなく切迫して考える必要もなかったのですが、いざ独立して自社の戦略を練るとなると、考えて考え過ぎるということはないですね。幸い、ネットのおかげで情報量自体は膨大ですが、一方でそんなあふれかえる情報を俯瞰し、腰を落ち着けて統合的に考える習慣や機会は少なく、バッティングセンターで来る球を打ち返すがごとく刹那的な思考を繰り返している毎日です。

ですが、やはりどこかで頭が求めています。我々はどこに向かって進んでいるんだろう。この時代を生きる意味はなんなんだと。世界で400万部以上売れたという「ホモデウス」。ビルゲイツが前作「サピエンス全史」同様、強くリコメンドしていることでも有名です。コンピューターやネット時代の先陣を切り、そんな時代自体を創る役割を自身がはたして現代人の先頭を歩く彼が、現代を俯瞰し将来を展望するのにこの書から大きなインスピレーションを得たことは分かる気がします。
そう、本書こそが現代人必読の書であると、私も確信があります。

初回につき前置きが長くなってしまったが、少しずつ、読者と一緒にページをめくっていきたいと思います。本書冒頭の部分が下記です。

「三〇〇〇年紀(西暦二〇〇一~三〇〇〇年)の夜明けに、人類は目覚め、伸びをし、目を擦る。恐ろしい悪夢の名残が依然として頭の中を漂っている。「有刺鉄線やら巨大なキノコ雲やらが出てきたような気がするが、まあ、ただの悪い夢さ」。人類はバスルームに行き、顔を洗い、鏡で顔の皺を点検し、コーヒーを淹れ、手帳を開く。「さて、今日やるべきことは」その答えは、何千年にもわたって不変だった。二〇世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、人々は同じ三つの問題で頭がいっぱいだった。すなわち、飢饉と疫病と戦争で、これらがつねに、取り組むべきことのリストの上位を占めていた。」
(ユヴァル・ノア・ハラリ(2018-09-06).ホモ・デウス上テクノロジーとサピエンスの未来ホモ・デウステクノロジーとサピエンスの未来(Kindleの位置No.86-92).河出書房新社.Kindle版.)

そう、人類の歴史はほとんど「飢饉」「疾病」「戦争」との戦いであったとの認識は、結構な衝撃ではないでしょうか。戦後、現代の先進国に生まれてこの方生活する我々はリアルな感覚としてこの実感をもっていません。太平洋戦争を経験した世代が生きていた時代には、多かれ少なかれ、いかに戦争が苛酷な体験であったか聞く機会もありましたが、こちらが幼かったこともあり、どこか教訓くさいというか少なくとも自分に絶対そんな災いは及ぶことがないと思う漠然とした確信の元うわの空で聞いていました。

しかし、この認識「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」(マット・リドレー)や「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド)という「ホモデウス」同様高く評価されている人類文明論の書で、同じく指摘されている、現代社会を考える上で欠かすべからざる出発点のような考え方なのです。

そう、現代の先進国に生まれ、快適で便利な生活を享受する我々からすると、実感がない。だが間違いなく、700万年にも及ぶ人類の歴史で、我々は宝くじを何連発も連続で当てたようなラッキーパーソンの集団なのです。

例えば、我々日本人の事だけ振り返ってみても、江戸時代は豊かな時代だったのでしょうか。「大奥」や「鬼平犯科帳」を見ている限りは、電化製品はないまでも悪くはない生活、少なくとも「飢饉」「疾病」「戦争」の気配は感じない。「落語」で語られる長屋の人情とて、貧しくはあっても底抜けに明るく楽しげだ。元禄繚乱という言葉もある。実際、当時世界一の大都市江戸での町人の生活は、豊かと言っても差し支えない状況も事実でしょう。

一方で、人口で言えば大多数が住む農村はどうだったのでしょうか?
「カムイ伝」というマンガを読んだことがない人はぜひ一度読んで欲しいです。

<小学館サイトより>
歴史観が思想に影響するのは自明ですが、左寄りの先生が多かった当時は、小学校の図書館にも置いてあったものです。思想的なバイアスを差し引いても、このマンガには江戸時代大多数の人々のリアルがあるとは考えています。ここに描かれる農村の姿は、まさに「飢饉」「疾病」「戦争(一揆)」そのものです。強烈な身分制の元、武士階級とそれを支える大都市の町人はそれなりの生活があったかもしれないですが、大多数の農民は生産性の低い農業と高い年貢に「生かさず殺さず」の生活を強いられていたことは、事実に違いありません。でなければ、命がけの一揆があれほどは頻発するわけがありません。
我々が、その時代に生まれていたら、旱魃の年に餓死していたか、幼児の時に売られていたか、たまらず一揆を起こし首謀者として磔にされていたか、わかったものではないのです。
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つまり、現代文明というものがいかに奇跡的な成り行きで成立しているものであって、当たり前に安泰が保障される代物でもなんでもないという認識。700万年の歴史のほんの一瞬の輝きを、どこまで保つことができるのか。我々の時代だけを考えても守り切れるものなのかどうなのか。本書を読んでなお、「まあなんとかなるさ」と、高を括れる人は多くないはずです。

「199X年。世界は核の炎につつまれた」で始まる北斗の拳の時代も、ノストラダムスの大予言の時代も、無事やり過ごせた我々ですが、一体この先には何が待っているのでしょうか。本書「ホモデウス」を読みながら、一緒に考えていきたいと思います。

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