【第28回 家族に障害児がいます from N.Y.】ペアレント・サポート・グループ

障害児を育てている親は自然と孤独感の強い育児環境に身を置くことになることが多いと思う。普通の育児とは異なる困りごとや悩みが多いし、何よりも共感して話せる相手が欲しくなるのが人情だ。息子が学校に通うようになったタイミングで、私は出来るだけ息子の学校行事やワークショップに参加するようにした。キンダーから通った学校では月に1回程度でペアレントサポートグループといって、お互いに心境を語ったり、質問があったら参加しているほかの保護者に聞いてみたりという会を催していたので可能な限り参加してみた。参加者が発言する内容への批判などは一切しないという条件で、自身の子供についての話をとつとつと語るという集まり。話しているうちに感極まって涙を流す人も出てくる。聞いている人の中にも涙を流す人なども出てくる。すると主催者の方からティッシュペーパーの箱が回されてきたりして、ティッシュを引き抜き、涙を拭いながら我が子との格闘の日々やら障害が分かった時の絶望的な気持ちについて語り、周りはただただ頷き共感するという構図だ。なんだ、ただの傷の舐め合いじゃん!なんて侮る難し。人はそんなに強くない。なので弱音を’吐いたり、共感を得たりすることがストレス発散に通じるし「まぁまた少し頑張ってみようかな、、」という気持ちを呼び覚ましてくれる。そして同じような境遇にある人達の経験談や心境を聞くことで「大変な思いをしているのは自分だけではない」という安心感と、「わかる、わかる」と頷ける話に少しだけ気持ちがほっこりしたり。参考になる体験談とか貴重な情報を得る機会にもなったりする。このサポートグループを通して、障害児のために週末のみ運営している室内遊技場を教えてもらったり、自閉症の子もみてくれる歯医者さんの情報を得たり。自分だけではなかなか辿り着けない情報源が眠っていることもある。体験談の中には4人のお子さんの内3人がそれぞれ特徴の違う発達障害だったりするお母さんの話とか、聞くだけで壮絶。また末のお子さんが自閉症と診断されたというお母さんの発言で、親族の中に同じように障害を抱えている子がいたので、この障害がどんな大変なものなのかある程度の知識はあったけれど、障害を抱えている我が子を育てるのは親族として関わっていた時とは雲泥の差で大変というものもあった。こういうケースは大変だなと感じたのは、家族や親族からの理解を得られずに軽くない障害を持った子供にも振り回されてストレスのやり場を失っているようなケース。子供の障害を母親のせいにする父親や、思うようにいかない子供のしつけや教育を母親の育児のせいにする親族。見るからに困っている場面にも一切手を貸してくれない身近な人々。そういう話を聞くと「地獄だなぁ~」と思えてしまう。地獄の存在って死後の世界の話だけじゃないんだな、、と思ってしまう。本当にみんなギリギリのラインで踏みとどまって何とか毎日をやり過ごしている状態だと感じることが多い。そういう話を聞いていると、自分の立場は最悪中の最悪ではないのだと思えてくる。そして不謹慎にも元気になるという効果も。自分が辛い状況にあるときは決して上を見上げてはいけない。辛い時こそ下を見て、自分と同じようにもがき苦しんでいる人の存在を知ることで得られる勇気があるのだ。傷の舐め合いは必要だと思う。動物だって怪我をしたとき、互いに舐め合って癒し合っているではないか。人間も動物、決して無視出来ない行動パターンだと感じる。

Leo ZankによるPixabayからの画像

大方、周りの人の発言を「ふむふむ」と冷静に聞いていることが多い私だが、一度だけ息子がまだ小さかった2,3歳頃の話をしていて涙を流したことがある。普段はもう泣くことなんてなかったけれど、話しているうちにその頃のことがフラッシュバックしてきてあっという間に涙が溢れてきた。いつもは飛び交うティッシュペーパーの箱を眺めている方だったけれど、その時は差し出されたティッシュペーパーの箱からティッシュをワシっと取り出し号泣した。顔を上げたら一緒にもらい泣きしている人も数人いる。デトックス。泣くことで何か溜まっていたものが押し出されたのか、何だかとてもスッキリしたことを覚えている。私が求めているものは励ましでも奇跡を信じる心でも、そして有難いアドバイスでもなく、ただ「うん、うん、そうなんだね。」と聞いて受け止めて貰うことなんだな、、、と、障害児育児をするようになって初めて気が付いた。本当に気持ちが落ちてボロボロになっている人に励ましの言葉なんてほとんど響かないのだと知った。寄り添うという言葉がストンと自分の中に落ちて来たのは、息子を育てる中で常に気を張って過ごし、周りからの視線を感じながら何とか平静を保とうと日々奮闘している中で、そんな自分のことをただ受け止めてくれる人達に大変感謝出来るからだ。仲間意識を持てる人達と繋がるということは少しの安心感と強さと、そして自分たちの居場所を見つけられる最良の方法だと思う。人は居場所がなければ立っていられない。例え少数派でもそこに仲間がいて、居場所があれば傷ついて疲れても少し休んで元気になれる。自分達家族だけで問題に立ち向かい、解決しようとしてもなかなか難しい。どんな形でも誰かと繋がれる機会を常に求めて行こうと思う。

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