【第1回 家族に障害児がいます from N.Y.】障害者の家族になる

お友達シリーズに新しい仲間が加わってくれました。
N.Y.在住のMrs.NYしおママが、外国で障害児を育てる日々について書いてくれるそうです。
日本でも苦労が多いに違いありませんが、想像もできないNYでの子育て。
貴重なリポートをぜひ皆さんお読みください。

障害者の家族になる

今年9歳になった私の息子は知的な遅れのある自閉症児である。今なおきちんとした言葉を発することはなく、ADHDの症状も併せ持っているので多動であり注意力も散漫。生活の中での困難は無くなることはなく、今後も継続して彼をサポートしていかなければならない家族の気持ちを考えてみたい。

息子の成長に違和感を覚えた時期

出産予定日より二日ほど遅れて生まれた息子は、何の問題もなくよく眠る普通の可愛い赤ちゃんだった。慣れない育児に疲れてイライラすることはあったけれど、特に息子の成長を心配するようなことはなく、至って普通の子育てをしているつもりだった。歩き始めたのは10ケ月の頃で、運動能力は遅れてるという印象よりも同時期に生まれたお友達の子供より早い印象だった。ただ1歳になっても全く言葉らしいものを発する気配もなく、今思えば言葉になるような音すら何も発していなかったような気がする。1歳児検診の時に、かかりつけの小児科医に言語の専門医を紹介しようかと尋ねられたが、その頃はまださほど深刻に受け止めておらず、とりあえずもう少し様子を見ることにした。しかし一向に言葉は発せられることはなく、それよりも段々と彼の行動に違和感を覚えるようなことが増えていったように思う。

1歳半頃には、息子がよその子供たちとは何かが違う違和感のようなものを感じることが増えていった。まず最初に感じたのが多動。明らかに誰よりもジッとしていない。子供はじっとしてないものという範疇を超えるような、一時も止まることのない動きに外出中はずっと気が休まらず、こちらのイライラも半端なかった。

玩具で遊ぶことが全くといっていいほど無く、ボタンのようなものを見つけると必ずそれを触りたがる。ATMの機械やコンピューターのキーボード、エレベーターのボタンなどだ。とにかく外出先でそのようなものがあったら、絶対に触りたがっていた。エレベーターやエスカレーターに乗ることも大好きで、延々と繰り返し乗りたがる。それは9歳になった今もほぼ同じ状態である。公園の遊具にもほとんど関心を持たず、むしろ怖がっている感じで、かろうじて遊ぶのはブランコのみという状態だった。

一番衝撃的だったのは、近所にいた半年も違わない年齢の男の子が、お母さんの「そこでちょっと待っていて」という指示をきちんと理解して行動したことを目の当たりにしたときだった。我が子は全くと言っていいほどこちらの言うことを理解している素振りはなく、例えその子が大変優秀な子供だったとしても、たった数か月しか違わない年齢なのに、あまりにも違う発達の状況に不安が大きくなったのである。

インターネットでセルフチェック

もやもやとした不安に突き動かされるように、私はインターネットで「多動症」という言葉を検索してみた。その関連で「自閉症」という言葉に辿り着く。そこに書かれていた特徴にことごとく当てはまる息子の症状に愕然としたことを覚えている。症状とは、「発語の遅れ」「目が合わない」「クレーン現象」「呼びかけに反応しない」「人との関わりに関心がない」などの項目であった。何よりもその文章の最後の方に書かれていた「この障害は治癒することはない」というような趣旨のことが書かれているのを見たとき、言いようのない絶望感のようなものに襲われたことだ。希望も逃げ場もないような気持ちに襲われて呆然としたことを覚えている。

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