【第14回 家族に障害児がいます from N.Y.】脳は大事

全く当たり前のことだけれども、人間が生きていく上で脳ってとっても大事。頭は一番守らなくてはいけない場所だと、自閉症の子供を育てている中で強く思う。同じ障害でも体に障害がある場合など不便なことが多いけれど、創意工夫で生活の中の困難を克服されている立派な人達は多い。方や我が子のような場合、ハッキリ言って五体満足。けれども知的な面の遅れや障害によって、五体満足であってもきちんと歩いたり走ったり、ジャンプしたり階段を昇り降りしたりすることに支障がある人もいる。私達が普段、何気なく行っている行動は脳という高度な司令塔によってスムーズに、苦労なく操作されているのだなぁ、、、と事あるごとに思う日々である。我が子のように生まれながらにして脳に多少の困難を抱えている人もいるけれど、誰だっていつ、どんな時に同様の困難に直面するか分からない。事故や病気で頭に衝撃を受けたら危険だ。頭は出来るだけ守るに越したことは無い。自転車やスケートなどをする時は必ず、ヘルメットを被ることは大事だと思う。しかし我が子はヘルメットを被るということがとてつもないハードルにもなったわけだが、、、、。自閉症は本当に厄介な障害。

Nadine DoerléによるPixabayからの画像

スポンサーリンク

教えなくても出来ることが殆どないという現実

子供を育てていて思うことは、普通は教えなくても出来ることが沢山あるのだという事実である。たまに聞くことで「気付いたらあっという間に出来ることが増えていた」という言葉。ははぁ~ん、なるほど。子供って本当はそんな風に色々と激しく吸収して、あっという間に大きくなってしまうのね。我が家の場合には無いわぁ~、という残念な感想。知らぬ間に出来ていたことなんて正直一つもない。本当に大げさでなく一つも無いのだ。彼の目の前でやって見せても、それを関心をもって見ることも無く、ましてや同じ動作を模倣するなんてことも出来ない。手取り足取りとはまさに我が家の育児状況を言い得ていると感心するばかり。それも少しづつ、少しづつ、スモールステップで褒めてやらせて根気よく。何度も行きつ戻りつしながらの指導だ。根気というより我慢が必要。待つことの大切さを強く思い知らされる。人間の手足は勝手には動かない。脳という司令塔がきちんと機能することによって、私達はスムーズな行動と高度な手足の機能を使った動作が出来るのだ。本当に脳って偉大。息子がまだ2歳だった頃に我が家に来てくれていたセラピストの一人が、「教えればそのうちに、使用済みのオムツをゴミ箱に捨てに行ったり出来るようになるわよ。」と言ったのだが、その頃の私には息子がそんなことを出来るようになるとはとても想像が出来なかった。その位、その当時の息子には私達の言葉や行動が全く耳にも目にも届いていなかった。使用済みのオムツを手に持たせ、一緒にゴミ箱まで行きそこに捨てさせて褒めてあげる。それを延々と繰り返すことによってゴミ箱に物を捨てるという行為が出来るようになったのは、3歳から4歳にかけてのころだったと思う。時間は掛かるが根気良くやれば出来ることも増えるのだなぁ、と思ったものだ。大切なのは教えれば必ず出来るようになるということではなく、出来ることもあるし出来ないこともある、という事実を受け入れられるようにしていくことでもあるのだと思う。頑張ればその先に必ず期待しただけの光が見えるのだという過度な期待はしてはいけない、、、と思う。個人的な感想だけど。。。

こちらは体力勝負

教えなくても出来ることというか、教えなくても分かっていることというべきなのか。普通の子供であれば、どんなに小さい子でもお店のカウンターの向こう側にズカズカと入って行くことはしないと思う。何となく、そこは入ってはいけない区域だと薄っすらと感じ取っているのか。しかし我が子の場合は全く違う。目を離したすきにレジカウンターの内側に入って行こうとする。進入禁止のサインやテープが貼られていても気付かない。お店の人に呼び止められていても気付かない、気付けない。他人との距離感が分からない。なぜか歩道で他人とすれ違う時など、わざわざ向かいから歩いて来る人にぶつかるほど近づいて行って、ギリギリのところですれ違うような行動もよくある。見ているこちらはハラハラして気が休まらない。そういう時は大概、多動の彼がこちらの呼びかけにも気づかずに猪突猛進、とばかりに前方へ向かって疾走している時なのだ。大声で名前を呼んでも全く反応しない子供の行動を抑制するには、言葉がけではなく走って取り押さえるしかないのだから、こちらは体力勝負となってくる。予防策としては、手を繋ぐのではなく手首を繋ぐことだ。手を繋ぐ状態だと手をひねったり、親指を繋いでいる部分に刺し入れてきたりして、手繋ぎ状態をほどいて疾走して行ってしまう。なので手首をがっちりと握っておくことが一番安全で無難な対策となる。しかし常にそういう拘束状態から逃れようと手首をねじってみたり、暴れて癇癪を起したりするから厄介だ。更に我が子は通りすがりの人の手を、ふっと握ったりするので油断ならなかった。握られた方はギョッとする。これがまだ3,4歳の子供であればビックリするけれど、まぁ可愛いって感じで大いに許されると思うのだが、うちの子の場合はつい最近までそういう行動をとることがあったので、いきなり知らないまぁまぁ大きな男の子に手を繋がれた方はビックリするだろう。一緒にいるこちらは全方位に対して神経を張り巡らせ、息子を監視しなければならないのだから外出が全く楽しいものではなかったのは想像出来ることと思う。そう言えば何度か、全く知らない人の目の前に立って相手をしっかりと見上げた上で両手を上げ、抱っこをせがむ行為をすることもあった。彼の中で、身内と他人との間の敷居が異常に低かったのか、それとも人を物のように感じていたのか。本人から話が聞ければいいのだけれど推測するしかないので全く分からないが、いつかどういう風に世界を見ていたのか聞けたらと願っている。思えば我が子は私達両親を、両親として認識したのは6歳以降になってからだったと思う。3歳で初めてプリスクールに通い始めた最初の年に、主人と私で彼のクラスを見学に行った。その時、彼は全く私達の存在を認識していなかった。名前を呼んで声を掛けても全くと言っていいほど無反応。全然認識されてない、、、と思ったのだ。その後、何度も私は学校に行くことがあったけれど、その時に万が一でも校内で私の姿を見たとなったら彼はパニックになって大発狂。私という存在は家の中にいるものであって、学校内で見かけるべき者ではなかったのだと思う。時々学校に行ったついでに、そのまま彼を連れて帰ることなどがあったのだが、その際はもう誘拐にあっているのでは?と思うくらいの絶叫で大抵抗するのである。彼の中では学校から出る時はスクールバスに乗らないければいけない、という構図が出来上がっていたのだと思う。あんなに絶叫しながら連れ出されることに抵抗していた息子も、一歩学校の外へ出て歩きだすとケロっとしていたのだから本当に謎に包まれた気分だった。学校のワークショップなどに参加するために行く場合、私は常に息子に見つからないように細心の注意を払い、息子のクラスの子供達が教室から出てくることなどがあれば身を隠すように先生たちに促される日々が続いたのだった。そんな日々が6歳ごろまで続く。その位迄が一番混乱が多く、意思の疎通が全く出来ずに鬱々とする日々が多かった。本当に脳って大事。何度でも言っちゃう。

【過去記事一覧へ】家族に障害児がいます from N.Y.

記事の更新情報をお届けしています。ぜひフォーローください。


facebookはこちらから。

タイトルとURLをコピーしました