【第49回 家族に障害児がいます from N.Y.】障害者の家族になるということ    

多くの人にとって家族の中に障害者がいるという生活は想像できないと思うし、望んでなることもほとんどないと思う。誰に起きてもおかしくない事態に覚悟を持ちながら生活をしているという人も少ないと思う。そう、障害者の家族になるということはまさに青天の霹靂の如く、予告編なく人生が大きく否応なく変わってしまうということなのだ。自分が生きてきた人生の道順とはまた違った道を取捨選択していかなければならないという試練。未来が全く見えない不安。そして障害者を支えて行かなければいけないという責任の重さと閉塞感。その全てに目の前が真っ暗になることは間違いない。私は目の前が真っ暗になって思考が停止した感じがした。息子の障害がハッキリした頃には否応なく認めざる得ない困難が日々あったので、哀しかったけれどスッキリした感覚もあった。一番つらかったのは障害を疑い始めた頃だった気がする。そして障害がはっきりしてからも毎日が困難と混乱の連続で本当にきつかった。投げ出したくても投げ出す勇気もなく、どんどん自分の中に溜まっていくとてつもない鬱憤。簡単に吐き出す場所も機会もなく、ちょっとしたことでも神経に触ってヒステリックにもなったし、どう働きかけても改善しない息子の様子に殺意さえ沸く始末。この子さえいなければ、、、って言葉が何度も何度も頭の中を駆け巡る日々。

子供が可愛いと思えない育児は修行とも違う何か得たいのしれない罰を受けている感覚になる。そもそも初めての子供で育児自体全くのド素人なのにも関わらず、予期せずに重度の知的障害のある自閉症児の親になってしまい何をどうしていいのか全く分からなかった。普通の育児書を読んでも参考にならない。自閉症に関する本を呼んでも我が子に当てはまるような対処法を見つけることはほぼ無かった。本気の手あたり次第育児が始まる。助かったのは2歳から自宅でセラピストさん達の指導を受けられたことだったと思う。彼女たちの息子に対する接し方を見よう見まねで真似し、徐々に本当に徐々に息子の障害に慣れていったことで理解することが出来始めた気がする。成長は信じられないくらい遅いけれど、それでも息子の知能がちょっと成長するごとに少しだけ育児が楽になっていくことも感じられた。それでも10代になってもまだまだトイレの自立も完璧に出来ていないし、お風呂も歯磨きも全て親の手助けがなければいけない。自分の持ち物の概念もなく、時間の概念も理解しきれていないので彼の生活の全般は親の私達によって支えられている。身辺自立を目指し、日々あれこれとサポートしながら成長を見守っているけれど、理想と現実の乖離は年々大きくなっていく気もする。それでも小さかった頃の息子と比べると、本当に信じられないくらい楽になった気がする。息子の成長と私達の慣れが相乗効果をあげているのだと思う。まだまだ問題ばかりだし、今も全く穏やかな気持ちで日々暮らせているわけではないけれど、最悪の時期かと言われたら今はまだマシな時期だと答えられると思う。私の場合は本当にラッキーにも同じ障害(同様にそんなに軽くないレベル)を持つ息子さんのいるお友達家族がいたり、早期にセラピストさん達の支援を受けることが出来たり、友人の中にも私の状況を聞いて困難を理解してくれ、どうしようもない泣き言を文句も言わずに聞いてくれたり。その全てに感謝の気持ちしかない。障害児の家族になって良かったことなんてあまり思いつかないけれど、一番良かったことは周りの人に強烈に感謝する気持ちが芽生えたことかもしれない。息子に関わってくれた全ての人には感謝の気持ちでいっぱいだ。ただただ「あぁ、こういう子もいるよね」って生温かい目線で見守ってくれる人達にも感謝しかない。望んで障害者になる人も、障害者の家族になる人もあまりいないと思うけれど、人生に何が起きるかなんて分からない。弱者の立場になった時に人間は一人では生きていけないということを強く思うようになる。そして弱者になって分かることもあるし、他者に優しくなれることも増えた。我慢も増えたけれど、周りの人達にも沢山我慢してもらっていることも増えた。もう一度息子を産みなおせるのなら絶対に障害のない子供を望むけれど、過去に戻れないのなら仕方ないと諦めてこれからも自分たちなりの最善の道を探していきたいと思う。

【過去記事一覧へ】家族に障害児がいます from N.Y.

タイトルとURLをコピーしました