【第26回 家族に障害児がいます from N.Y.】難敵!オウム返し

前回、発語の無い我が子とのコミュニケーションにiPadを利用しているとお伝えしたが、基本的には息子からの要求に主に利用されているのが現状。コミュニケーションという表現方法には程遠い利用方法かもしれない。ただ一方的であっても、彼が求めている物が何かを知ることが出来るだけでも相当助けて貰っているアイテムではある。問題は質問されたことに対しての返答であるが、かなりの確率でこちらが質問した文章をそのままオウム返しのようにタイピングしてくることが多い。結局、質問しても求める応えが返ってこないということになる。歯痒い、とても歯痒い状況なのだ。発語のあるお子さんでも言葉がオウム返しになったり、良く聞くコマーシャルなどのフレーズを繰り返し発していたり、言葉が出ているからといって簡単にコミュニケーションが取れるということではない場合も多いとは聞く。言葉が出てても出ていなくても脳の中の思考というかパターンは類似しているのだな、、と再確認。こちらからの質問に対して「はい」「いいえ」で返答させることさえ至難の業。うちの子の場合、一番高確率で回答を得られるのはホワイトボードなどに質問に対する答えになるであろう単語を何個か書きだし、本人に指さしで選んでもらう方法である。その場合でも決して本当に彼の本心からの答えを得られている保証は無い。「はい」「いいえ」などの回答を欲しい場合も、Yes , Noを書いて見せ、質問をゆっくり聞かせて指さしをさせるのが分かりやすいようである。

athree23によるPixabayからの画像

選択させるということで、こちらが必要とする答えを得られるわけだけれど、この場合は子供の好きな物、行きたい場所、やりたい事などのパターンをこちら側が良く観察、理解していないと成り立たない方法である。そして相手が激しい癇癪などを起こしている場合には、なかなか役に立ち難い方法でもある。何故?どうしたの?といった類のこちら側からの質問に対して、何でも良いから回答が欲しいと思った場面は何百回もあるけれど、本当に伝えて欲しい事は何も伝わってこないというのが現状。言葉によるコミュニケーションという人類にとって最も簡単で便利な手段が使えていないという現実。他者からみて何でもない簡単な意思疎通のやり取りでも、知的な問題を抱える自閉症児を相手にすると試行錯誤の連続技となるのだ。
オウム返しは言葉だけでなく態度もオウム返し状態になることがしばしば。例えば私が怒った時など、その怒っている私の態度を見て同じようなポーズを取ろうとなぜか一生懸命になっている。その姿を見て怒りよりも「?」という気持ちにさせられるので、いつの間にか怒っていた感情がどこかへ行ってしまうのだが、あれは作戦なのだろうか?それともやはり悲しき習性なのだろうか?残念なのはバイバイも未だに逆手バイバイになってしまう我が子。私のポーズを真似ようとしても読み取り機能に問題がある息子にはそれすらも難題。その姿を見るにつけ、自閉症の闇の深さを思い知るばかりだ。

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