陰謀論のやっかいなところ

ネット時代になり、一部のメディア企業だけではなく多くの個人が発信できるようになったことは本当に良いことだと思います。
もちろんビッグバンと言って良いほどに情報量が増えていることで、ノイズと言う他ないような発信も増えました。
ただ憂さを晴らすためだけの罵詈雑言のようなもの、あまりにも稚拙で情報価値のないもの、ある種の固定観念に支配されたもの。もちろん発信することは自由なのですが、受け手としては自分にとって不要な情報の大海をかき分けて価値ある情報の孤島までたどり着く必要があります。
一方で、ネット時代以前には絶対たどり着けなかったような専門家の知見や、逆に専門家ではないけれど素晴らしい洞察に富む市井の方の発進に触れられることは素晴らしい恩恵と感じています。

さて、そんな中で私自身扱いに困ってしまうのが「陰謀論」という奴です。
良く初めてのメンバーとゴルフなどをラウンドすると、ランチ(あー今となっては懐かしい風習となりましたが)のときに、最近の時事的な出来事を陰謀論で一刀両断する方に出会ったりします。もちろんご本人は確信をもってキラキラした目でお話になるので、曖昧にほほ笑むしかないのですが、どうもそう断じる根拠が弱い。往々人づてに聞いた話だったり、ネットで聞きかじった話だったりするわけです。

Michael KnollによるPixabayからの画像

武田邦彦さんがまさにおっしゃていたのですが、「陰謀論」が陰謀である限りは関知しようがないわけですね。公知の事実になった時点で「陰謀」ではなくなる。つまり「陰謀論」という言葉自体に自己矛盾性があるわけです。
だから本当の「陰謀」が明らかになるのは、歴史的に解明された瞬間だけになるわけです。実際にCIAの黒歴史を書いた本などを読むと、実際に「陰謀」が行われた事実は明白にあり、「陰謀」というものは絶対世の中に存在しないと言い切れないところもまた厄介です。
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ただし歴史的事例を俯瞰しての実感としては、平和ボケとまで呼ばれる日本の国民性は、皆無ではありませんが海外ほど正直あまり陰謀で事を為す事例は多くないようには思います。
例えば、今回の黒川氏の賭けマージャン事件にしても、この問題の膠着上場を打開しよう政権=>新聞記者の自作自演のトラップ疑惑がまことしやかにささやかれてもいますが、公式には裏付けはありません。
要は、あらゆる事象に対し想像力さえあれば陰謀論を語ることができるのではないでしょうか。居酒屋談義であれば、何でも根拠なくぶち上げられます。一方でそんな陰謀論の特性を理性的な人は前提として知っていますから、よっぽど公の場での発信には軽々に陰謀論と捉えられかねない発信には気を使います。
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新型コロナウイル発生原因を巡って米中の応酬がとまらず不穏です。 というわけで、新たなエボラ出血熱が発生したり、未知のインフルエンザ株が現れたたりして地球を席捲し、何百万人もの人命を奪うことがないとは言い切れないものの、私たちは将来そう...
でもここからが一番私にとって厄介なところなのですが、実際の社会生活の中で「陰謀」をまったく目の当たりにしたことがないかと言えばまったくそんなことはありません。完全な犯罪行為とは言えないまでも、裏にまわって正規のルールをかいくぐって影響力を行使しようとする人は皆無とは言えないことを自分でも実際に知ってしまうと、第一オプションではないものの陰謀論を排除できなくなるのもまた事実なのです。
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逆に言えば、私が現在のマスコミや記者、野党に厳しいのも、ワーワー騒ぐ割には、私が事実関係を知っているようなネタでさえかすりもしていないことに職業人として心底がっかりするからです。
麻雀するのも良いけど、今そこに社会を裏切る「陰謀」的な何かはあるわけだから、記事を書いて欲しいとは思いますね。何せお金をもらって活動しているわけですから。

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