驚愕!今、公立小学校では成績の差が分からないことになっているらしい。

何より家で過ごす豊かさ。インテリアをブラッシュアップしたり、家ご飯、家飲みにこだわってみたり、元々出不精の家好きもあってそれはそれで楽しかったです。

そして子供とたっぷり過ごせたのも良かったですね。仕事が忙しいと1年単位であまり一緒の時間を過ごせなかった時期も多かったので。さすが親子共々家にいるとしっかり共有の時間を過ごすことができました。
勉強を見ていてイライラしたりもしましたが、やはり可愛くて、この貴重な時間は良い思い出にしたいですね。

さてそんな小学生の子供と色々話をしていて気が付いたことがあるのですが、なんと今の公立小学校では勉強での成績差がつかないことになっているらしい。正確には誰でもできるようなテストが優しく出題されて、結果の差も分からないらしい。
確かに、悪い予感はしていました。徒競走でみんなを1位にするといった狂ったやり方も一時期あったと聞きましたが、要はできない子のメンツに最大限配慮するパターナリズムです。パターナリズムとは上の立場の人間が下の人間を優しく扱うというような意味ですが、要はいらないお節介とか過干渉というニュアンスがあります。
だから勉強では誰も差を感じなくて、運動能力が高い子がただひたすら幅をきかせているのだと。

(写真:AC)

別に体育ができる子が目立つのは、どんな時代もそうですからそれはそれで良いのですが、勉強できる子の立場はどうなるんだろう?と大いに疑問です。体育できる子がいて、勉強でがんばる子がいて、面白い子がいて、カッコイイ子がいて多様性って感じられるのではないでしょうか。やはり学生の本分は学問。少なくとも勉強ができる子がプライドを感じられない状況が良いとも思いませんし、できない子が「まずい。もっと頑張らねば!」と気づく機会も奪っていると思います。
極端に薄っぺらな教科書といい、できない子に対する過剰な配慮が、勉強したい子、伸びる子の学習意欲を奪っているのではないでしょうか。こんなかたちで結局今も”ゆとり教育”は着々と実行されていることを知り愕然としました。

公立小学校のこの体たらくを知ってしまうと、当然公立中学校ではできない子の負の蓄積はとんでもないことになっていて、かつて日本では存在しなかった文盲レベルの生徒が続出するような心配もあります。いやもしかしたら、レベルを下げて教育している分文盲は減るのかもしれませんが、とても知的好奇心にあふれた子供が集結するとは思えません。

いやいやこれでは、中学受験が流行るわけです。
本「たんさんタワー」でも友人のあやママさんが、「ママのSAPIX奮闘記」を連載してくれていますが、SAPIXの高度な内容をこなしている子とそうでない子の格差は、かつての小学生では考えられないほど大きいですね。
<過去記事一覧へ>ママのSAPIX奮闘記

一部の勉強を一生懸命した子と、大多数のゆとり教育で育った子供。
一体、この日本は将来どうなってしまうのでしょうか。
間違いなく一億総中流というかつての日本の姿が崩れ去るだろうことだけは間違いありません。

久々の学校に通う我が子を見て、絶対中学受験頑張らせようと誓うのでした。

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