【第30回 家族に障害児がいます from N.Y.】出来ること、出来ないこと

みんな出来ること、出来ないことってそれぞれ色々あるだろうけれど、うちの子の場合は出来ることよりも出来ないことの方が圧倒的に多い。それでも少しづつ出来ることが増えるたびに親の負担も少しづつ減ることも実感している。子供が成長していくと物理的に楽になっていくことが増えるのだな、と何となく理解し始めた。圧倒的に楽になったのは排泄行為をトイレでする、ということがちゃんと出来るようになってから。それまでは常に神経を張り巡らすせてなるべくアクシデントが起きる前にトイレに連れて行くようにしていたけど、殆ど失敗で事故現場の後処理に多くの時間を費やされていたから、それが無くなったのが解放感を感じる一番だったかな。ただ現在も排便後に自分で綺麗にお尻を拭くこと出来ず、日々訓練の途中なので完全に解放されてはいないけれど、以前と比べたら大変さは雲泥の差。歯磨き後のうがいも出来るようになったのは8歳くらいの頃。それまでは一度口の中に入れたものを吐き出すということが出来なかった。どうしても、どうやっても無理だった。全てごっくんと飲み込むことになる。それがある日、水を口から吐き出すことが出来るようになって私は小躍りしたものだ。今では口をすすぐ事が出来るようになったけれど、これも何回すすげばいいのか目安を与えてあげないと本人が分からないので、回数をカウントダウンして教えてあげるようにした。やはり常に付きっ切りで補助が必要だけど、それでもだいぶ心理的に楽になった。相変わらず歯磨きは自分では出来ないけれど、出来ないことはいずれ出来るようになるように少しづつ練習しながら長い目で待つしかない。着替えが自分で出来るようになったり、指示した内容を理解して行動出来るようになったり、コミュニケーションが少しでも出来るようになってくると生活の質がグンと高まる。そして親の気持ちに少しでも余裕が出来ると、子供に対してもリラックスして対応出来る時間が増えるから息子も嬉しそうだ。息子の癇癪もだいぶ減った。それと同時に私が怒鳴り散らす頻度も減少傾向にあると思う。やはり親もただの人間。余裕がなければ理性もぶっ飛ぶ。まぁ私に元々理性というものがあるかどうかは別として、知能が3歳児以下なのに運動能力だけ向上していく子供と常に一緒に過ごすことは本当にしんどい。言い聞かせて分かる子だったらどんなに救いがあっただろうと思う。ちなみに11歳になった今も言い聞かせて理解出来る範囲は非常に小さい。ただ経験が増えていくとパターン的に覚えていくことも増えるようで、小さい頃とは違って落ち着いてきた部分が増えてきた。学校という場で色々な経験をすることも大きいように感じる。息子は自閉症児だけが通う学校に行っているので、先生や職員の人達はこういう特性の子供たちの扱いに慣れているから、子供もストレスが少ないのだろう。うちの子は学校に行くことを嫌がったことは一度も無い。むしろパンデミック中に学校が閉鎖されリモート授業になっていた期間には何度もコミュニケーション用のiPadに「SCHOOL」や「SCHOOL BUS」などの単語を何度もタイプして訴えてきていた。その度に学校好きの子供で助かったぁ~~と思ったものである。

(写真:pixabay)

数日前に息子の宿題を一緒にやっていた時である。幼稚園レベルの簡単な英文の問に対する答えを3つの絵の中から選んで丸をするという問題だった。すると私の想定以上にあっという間に一人で全ての問題に答えていて、しかも全部合っていた。衝撃的な瞬間だった。思っているよりも理解しているのかもしれない、、、と嬉しい疑念が残ったが、普段の生活の中で「どこに行きたいですか?」などと質問して、彼が行きたいと考えられる目的地を何か所か書き出して答えを求めたりするけれど、普段の生活の中ではこちらの質問に対して返答することが非常に難しい。なかなか学習で学んだことを汎用することは簡単ではないのだなと思っているけれど、それでも小さな、小さな最初の一歩だと感じる。一歩進んで二歩下がるという「365歩のマーチ」を地で行くような人生の息子だけど、まぁそれが彼なのだろうと思える余裕も出てきた。出来ることを喜び、出来ないことには気付かないフリをする。これが親子共に精神的に安定して暮らすコツのひとつなのかもしれない。

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