ブラウンというブランド気になりませんか。
なんとなくブルータスとかPenといったライフスタイル雑誌で一冊丸ごと特集しても語るべき世界観があるブランドという気がするんですよ。
やはり製品自体に一貫したポリシーがあるますし、デザインに「機能性」というかメッセージ性がある。
それでも最近のブラウン製品はやや普通になってしまった感はありますが、なんとかギリギリアイデンティティを保っているようには思います。
共通性を感じるのは同じくドイツの製図・筆記具メーカーのロットリング社製品ですかね。
金属の無垢からそのまま削り出したような高品質で妥協のない質感と、機能性にフォーカスしたデザインは共通するところがあります。
<写真:ロットリング社>
かつて自動車評論家でもあった故渡辺和弘氏は、メルセデスベンツ、ポルシェなどドイツ高級車やスポーツカーに表象されたドイツ流機能主義の偏執的なまでの徹底ぶりを、「ナチ」的と大胆に表現していたことを思い出しました。
ブラウン製品にもそんなある種の徹底さを感じるのですよね。
それにしても、そんなセンスを一番見習って自分のものにして時価総額世界一企業になったのはアップルです。アップルのデザイン言語も「無垢からの削り出しのような本質感」「不必要なものが一切ない徹底した機能主義」といったバウハウス以来のモダンデザイン言語の本流をまさに徹底したのがスティーブ・ジョブスだったわけです。
それに比べると日本メーカーのデザインの下手さがどうしても気になります。もちろん一製品一製品の中には良いデザインのもの、スマッシュヒットやホームランも存在するのですが、芯が無い。場当たり的、気まぐれ、思い付き、流行を追うだけ。という印象のものが多すぎます。
もちろん自動車会社などはなんとか自社のヘリテージ、遺産を振り返りながら、そのメーカーのデザイン流儀の本質とは何かを突き詰めようとしている動きはあるのですよ。マツダなんか頑張ってますよね「Kodou」デザインですか。日本刀などからもインスピレーションを受けたデザイン言語をなんとか確立しようと頑張ってらっしゃいますね。
まあでもほとんどのメーカーさんダメダメですよ。ハッキリ言って。特に家電メーカー。
原因は色々あると思いますが、やはり企業のあり方自体がサラリーマン社会。経営陣もサラリーマンでコロコロ変わるしデザインにセンスがあるわけがない。そんな人たちが思い付きで最終ジャッジしていれば、サラリーマンデザイナーも顔色でゴマすりデザインしか起こせませんしね。
もう少し現場的に言えば、モデルチェンジのサイクルが短すぎてルーチン化し過ぎていること。毎年のように販売店新製品発表会のスケジュールが組まれ、変わってなくても新製品にするためのデザイン改訂のためのデザインをすれば、そりゃあデザインの本質性なぞ突き詰めている余裕はありませんよね。
そして何より、生活者がそこまで思い入れをもって製品を選ばないんでしょうかね。
ダサいデザインでも安ければ買ってしまう人ばかりならば、デザインにお金をかけることもバカバカしくはなりますよね。
そんな記事を書きましたので、ぜひご一読いただければ嬉しいです。
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