【第2回 家族に障害児がいます from N.Y.】喋らない息子

お友達シリーズの新しい仲間。
N.Y.在住のMrs.NYしおママの外国で障害児を育てる日々の貴重なレポートです。

引っ越し

息子が1歳8か月の頃に、私たち一家はロサンゼルスからニューヨークへ引っ越すことになった。
小さい子が一緒の引っ越しは思った以上に大変だった。アパート探しの為と引っ越しのためにLA⇔NY間を3回飛んだことになるのだけれども、機内で寝ている間以外はほぼずっと細い通路を歩き回り、視界に入るパソコンなどのキーボードを触ろうとするのを後ろから制止するということの連続。持ち込んだ玩具にも本にも一向に興味を示さず、ずっと機内を歩き回りたがるので困った。おんぶしてあやしたりと、ただただ疲れるフライトだった。

新しい環境

新しい環境に移ってからの息子は特にまだ小さかったから大きな影響は無いように感じていたが、実際は環境の変化に戸惑いを隠せなかったのだと思う。外では足を道路に付けることすら拒否するように絶対にベビーカーから下りず、暫くの間は外出時にはベビーカーに乗るか抱っこという状態だった。
近所に公園がいくつかあったが、どの公園でも遊具で遊ぶことすら拒否。絶対に地面に足を付けないというような徹底ぶり。外に連れ出しても遊ぶことがないので、あの頃は一緒に時間を潰すことが段々と苦痛になっていった。
辛うじて興味を持ってくれたのがアンパンマンのアニメとYouTubeで観るいくつかの動画だった。しかしそれも、アンパンマンの中には苦手なエピソードがいくつかあり、その苦手な回のオープニングソングが始まるだけで癇癪を起こすようになった。更にアンパンマンを観ている最中にテレビの画面を走り回りながら何度も激しく叩いたりしていたので、後日我が家のテレビに画像が映らなくなるとう悲劇も起こる。YouTubeで流す動画も同じものをずっと観るのではなく、次々と違う動画に切り替えて欲しがるのでずっと一緒にいないといけなかった。彼が起きている間は家事や自分の身の回りのことをすることが難しかったので、私のストレスもどんどんと溜まっていったのである。

喋らない息子

色んな面で発達に気になるところが多かった息子だが、とりわけ2歳目前でも全く言葉が出ていないことはとても気になっていた。
今思えば普通の子供が発語する過程で発する喃語のようなものもなかったように思う。ただ初めての子供であったし、身近に子供と接する機会のなかった私にはそれがおかしい事だとは気づかずに過ごしていた。しかし流石に2歳になるのに全く一言も言葉が出ないことに違和感と焦りが募り、周りの友人数人にその悩みを告げていた。
そうしたなか、ちょうど医療機関に勤めていた友人の一人が知り合いの臨床心理士の方を紹介してくれた。その人に我が子の心配な点を少し伝えた時に、彼女から「お子さんは指差しはしますか?」と聞かれ、そういえばそんな素振りすら見たことが無いとその時気付かされた。慌てた私はその臨床心理士の人に「いいえ、一度も見た事がありません。」とすがる思いで答えたら、Early Intervention というサービスがあるからネットで調べて該当する機関に連絡してみたらと言われ、帰宅して直ぐに調べ電話をしたのであった。

Early Intervention

Early Interventionとは、生まれてから3歳までの間に様々な発達の遅れなどがみられる子供に与えられる支援サービスである。
ネットで調べた番号に早速電話をしてみた。電話先のオペレーターに2歳になる男の子の母親だが、子供が全く言葉を発しないので不安でこちらに電話をした旨を伝えた。オペレーターが後で担当者から折り返し連絡すると伝えられ、その場は電話を切った。その電話からそう間を置かずにコーディネーターという女性から連絡があり、すぐに面接の日程が決まった。
数日後、彼女が自宅を訪ねて来て、息子本人を確認したうえで両親である私たちから基本的な情報を聞き取り、後日改めてEvaluation(検査)の日付を連絡すると言われた。正直その頃の私たちは、アメリカの教育システムも何も分からないうえに発達に問題のある子どもが辿るであろう道筋とか、検査内容とか全く無知な状態だったので、ただただ相手に言われるがままに動いていた。

後日、Evaluationの日程の連絡があり、指示された場所に息子を連れて行ったのだが、まだ当時2歳になったばかりの息子のお昼寝時間はそうきっちりと決まっておらず、移動の間に眠ってしまったために検査を行う直前に起こさなければいけなかったりして、ただでさえこちらの指示を伝えるのは絶望的に難しい息子の機嫌は最低で、こんな感じでちゃんと検査は出来るのだろうか?と疑問に思ったことを覚えている。まあ機嫌が良かったとしても検査結果に大きな違いがあったとは思えないのだが、、。
とりあえず検査のために目の前に簡単な型はめの玩具や、絵などがあったような記憶があるが、うちの子はそのどれにも全く興味を示さず、検査士の人の呼びかけにも全く無反応。彼らを見ることもなく、自分の興味の赴くままに行動する息子を見ながらもう絶対にこれは自閉症決定だな、、、と疑惑ではなく確信した。
その頃の息子の様子を聞かれたときに親として気になったことは、第一に言葉が出ないこと、そして指さしがない、視線が合わない、こちらの呼びかけに振り向くことがなく、つま先立ちで歩く、一人でくるくると回ったりする行動が良く見られるなど特徴を報告した。またバイバイなどの簡単な動作もあまり出来ず、全て逆手バイバイになるなどもあった。とにかくどこをどう切り取っても完璧な自閉症の症状にしか当てはまらない。しかし当時の診断はPDD-NOS(広汎性発達障害)ということだった。

セラピスト達が我が家に来る

とりあえずPDD-NOSという診断がついて、息子に発達の遅れがあるのは明らかだったので早速支援を受けられることになり、そこから週に何度かスピーチとABAのセラピストが我が家に来るようになった。正直、その頃は息子を連れて公共交通機関を使って移動するのはなかなか大変だったので、セラピストが我が家に来てくれることは大変に助かった。ただ,
セラピストがその後何人か変わったりしたのだが、人によっては連絡もなく現れなかったり大幅に遅れてきたりすることがあったので、こちらもスケジュールを合わせるのが大変でストレスになったこともあった。だが子供のことを自分以外の人が一緒になって考えてくれるというのは、親として大変に心強く、有難い存在であったのも確かだ。ネットで調べると療育によって発達が遅れていた子供でも、大きく成長を感じることが出来たという体験談も多くあったので正直色々と期待していた面もある。魔法でも治療でもないけれど、何かこう劇的な変化が起こるのではないだろうか?というような奇跡的な効果を心のどこかで願っていた。

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