【アゴラ掲載】コロナインフォデミックの戦犯たち③ 不可解な動機 メディアの亡国、罪と罰(2)

コロナインフォデミックの戦犯たち第3回ということで、今回はなぜあそこまでテレビ朝のワイドショーのコロナ恐怖訴求が過熱化したのかという動機に焦点を当てて記事にしました。
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よろしければ、下記第1回、第2回もあわせてお読みください。
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ご存知の通りテレビ局というのは免許事業でもあり、参入障壁もありますから、色々強いんですよね実際のところ。

でもそんな立場を作ったのは、先人ですよね。
まず新聞社の信頼や政治力があって、テレビ局の免許獲得に至ります。

そもそも新聞社のビジネスモデルって、本当にすごいものだったと思います。毎日朝刊、夕刊と軒先まで2回のお届け。日本では広義の都市生活者が9割と定義されているからできたことだと言えますが、世界に類をみない徹底度でほとんど365日。夕刊も配っている地域を「セット版地域」というのですが、8割以上がセット版要は夕刊も配っているのです。
こんなやり方、今の社会で構築しようとしても絶対無理ですよね。
それに加えての、ご存知強烈な営業力。そこでかき集めた購読料と大部数を基盤に、とんでもない規模の取材・制作体制を構築して世界に類をみない速報性と記事の豊富さで、確固たる地位を築いてきたのが新聞社です。
もちろん、ネット時代になり、新聞社はビジネスモデル自体の見直しが必須な状況であるわけですが、とにかく一時代を築いたことは間違いありません。

テレビ黎明期は、テレビ自体がまだ海のモノとも山のモノとも分からなくて各新聞社も積極的に出資したわけでもなかったようですが、それを取りまとめて差配したのが電通中興の祖、吉田秀雄です。
今は絶版になっていますが、田原総一朗氏の「電通」という本にその辺の経緯は非常に詳しいです。
Bitly

私が感じるのは、現代のテレビマンはそんな先人の堅牢な城にあぐらをかいてるのではないかなということなんです。
特に、決定的に欠けていると感じるのは社会的弱者に対する目線ですかね・
テレビマンも先輩たちの時代までは、文化と教養の香りが強く、一家言ありましたが、いつの頃から無原則になってしまいました。
たぶんフジテレビが「面白くなくっちゃテレビでない」などと言い出した頃からだと思います。

そんなテレビマンたちの内在的論理を含めて、なぜここまで放送内容に偏りがでるのか、その構造を分析しましたのでぜひお読みください。
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