【第11回 家族に障害児がいます from N.Y.】いつまで続くの?NYの自粛生活

NYで外出禁止令が出された時はひと月程度で元の生活に戻れるのだろうと思っていたけど、段々と感染者数も死者数も増えたことで学校の再開も遠のき、気付いたら学校は9月の新年度まで再開されることは無くなった。期待していたサマースクールも、現状と同じリモートによって課題が送られてくる形になるようだ。勉強の進捗状況よりも、学校で受ける他者からの刺激や交流、そこで習う幅広い事項は我が子のような障害を抱えた児童にはとても重要だ。しかしその機会は9月までお預けとなってしまった。ただただ非常に残念で悲しい。コロナウィルスが原因だから誰のせいでもないし、皆同じ条件の元で頑張っているのだから、、、と自分を慰めるしかない。
息子がこうも毎日食べてばかりいるのは退屈だということもあるのだと思う。ずっと家にいて自由時間が夢のように与えられていても、人間はそれで本当に楽しく過ごせるという訳ではない。特に知的に遅れている我が子は、楽しみの幅を自発的に広げるということが非常に難しい。そんな息子は地下鉄やバスに乗って外の風景を眺めていることだけでも十分に興奮出来るのだが、このパンデミックのせいで今は気軽に公共の乗り物に乗車することも出来ない。そしてその理由を説明しても理解出来ていないので不満が爆発する。お金は貯まらないのにストレスだけはどんどん溜まっていく。ガス抜きのために近所に連れ出すが、そんなことじゃ満足出来ないのが悲しい。最低限の意思の疎通は絵カードやタブレット、文字を使って出来るが、感情を相手に伝えるなどの高度なことが出来ないのが歯痒い。日々、息子の興奮した奇声や怒りで泣き叫ぶ声ばかり聞いているとこちらの精神状態も普通ではいられなくなる。今までは学校に行っている時間に自分の時間を持てていた。それは自分のペースで作業が出来るということで、特別に自由時間でもなかったけれど、それでも気分転換には十分な時間があったことでバランスが取れていたと思う。それが毎日24時間、ずっと一緒だと正直キツイ。学校の課題をやらせるのも段々と億劫になってくる。何だろう、日々愚痴っぽくなってくるなぁ、、。

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学習を通して知る息子について

そんな日々をイライラと過ごしている私だが、子供の家庭学習に付き添っていたお陰で気付けた息子の視点というか、特徴というか、息子について知る部分があったことは収穫なのかもしれないと思う。例えば、昔から息子はアートに関することは一切興味がないし得意ではなかったが、それが本当に筋金入りだということ。息子にとっては簡単な図形を描くことすら難しい。丸も四角も三角も、きちんと描けない。OTのリモートセッションを受けている時、OTが簡単な人間の絵を描いて、それを息子に同じように描いてみるように指示をだした。その絵は顔は丸で、その中に目と鼻と口が簡単に描かれていて胴体は四角。そしてそこから手足が伸びるという幼児が人を描く時に描くような絵である。息子が描く人間はこうだった。頭が体に大きく食い込む。(頭部の丸と胴体の四角が完全に交わって、首が無いどころか頭が胸から生えてるように見える)そして腕は無くなり胴体から直接指が生える。目、鼻、口らしきものは辛うじて顔面内に収まっていたが、耳は完全に忘れ去られる。(耳なし芳一?)そして一番最初にその絵を描くところを見た時には、何故か描き始めたのは足からだった。同様に〇△□を使って簡単に描いた家の絵に至っては辺の部分同士が接着することはなく、屋根の三角、壁の四角は全て独立した状態になっていた。家のバラバラ殺人事件を見る思いだった。

Mari KanezakiによるPixabayからの画像

息子は物事を全体像として理解していないのではないだろうか?というのが一番最初に思った印象である。彼から見えている風景は、私が見て感じているものと大きく違っていると思わされた。色塗りにしても小さい頃から全く関心がなく、未だに絵の枠の中を塗るということが出来ない。以前よりは、枠からはみ出る範囲も小さくなってきてはいるけれど、相変わらずダイナミックなストロークで色を塗っていく。きちんと全ての範囲を塗ることもなく、細かい部分を違う色で塗り分けるなんて言う高度なことをすることもなく、やっつけ感が半端ない状態だ。想像力は限りなく乏しいと思う。私自身が幼かった頃は、絵を描くことも色を塗ることも大好きだった。誰に教わることもなく、何となく絵も描いていたし色も塗っていた。そしてそれはとても夢中になれることの一つであったのだが、我が子は全くと言っていいほど絵にも工作にも興味が無い。やって見せても同じように出来ないのだ。私達が自然に、当たり前に出来ている殆どの事を我が子は出来ない。文字を書かせてみても、単語と単語の間にスペースを開けたりすることも理解出来ていないし、一つの単語を書いているとアルファベット同士が離れすぎてしまって、何の単語を書いているのか分からなくなるほどだったり。そもそも文字が雑過ぎて何が書かれているのか判別が難しい。大文字、小文字のサイズ感の違いもしっかり理解していないようだ。無論、サンプルとして同じ文章を最初に私が書いて、それを同じように真似るように言うのだがそれが難しい。なのにYouTubeを閲覧するのに検索欄に検索したい単語を打ち込むときなどは、単語と単語の間にきちんとスペースを入れることが出来るのだから、書くこととタイプすることは全くの別の事という認識なのだろうか。なかなか不思議で興味深い発見もあるので、この生活も悪いことばかりではないと思う。重要なのは繰り返し、繰り返し、何度も練習したり学習したりすることが大事なのは間違いないようだ。折角の軟禁生活、イライラすることは止められない気はするけれど、息子を良く知るための期間だと思い込もう。何事も思い込みが大事だ!

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