「なんでも議事録症候群」が日本企業を壊す

最近異業種の色々な人から「議事録」作成業務についての不満を聞きます。

もちろん私とて「議事録」を作成したことは結構あるし、外資系企業との付き合いが長かったのでクライアントとの打ち合わせ後コンタクトレポートを出すこともありました(もちろん英文ですよ)。
いやむしろなんでもかんでも「議事録」を残すべしという考え方は、外資系企業から逆輸入されたものだと思います。

世の中には手続き論が大好きな性分の人というのがいて、血液型のように一定割合がそういう厳格な手続き論者であるために、そういうタイプの人が組織のリーダーになるとまず「議事録」を欲するようになります。
やはり業種によってはそういうタイプの厳格管理者タイプが出世しやすかったりもしますので、組織全体がそういう文化になります。

私自身の結論から言えば、日本企業にとって「議事録」など百害あって一利なしです。

(写真:AC)

もちろん取締役会や経営会議などその場で重要な意思決定がなされる会議は「議事録」が記録として必要であることは論を待ちません。
不要なのは、日常的な社内会議や一般的な外部企業やクライアントとの折衝に「議事録」を残すことです。
そもそもそんなものを誰も参照しなければ二度と目を通しもしないことはほとんど間違いありません。ではなぜ「議事録」好きは、かくも「議事録」作成を要求してくるのでしょうか。
これがなかなか私のような人間には理解できないのですが、万一あとで上役に何か言われたときやトラブルのための保険のようなメンタリティで作成しようと考えるように見受けられます。

もっと端的に言えば、何にも考えていないのではないでしょうか。
世の中には、生まれてこの方完全な思考停止状態で、他者の価値観を見様見真似でなぞりながら生きている人が結構な割合いるようだと筆者はようやく結構な歳になって気づきました。自分がそういうタイプではまったくないために、そんなロボットのような人間がよもやこの世に存在するとは思っていなかったのですが、実際には少なくとも現代日本人においてそんな脳のあり方が多数派のようなのです。
脱炭素だと言えば当たり前に脱炭素が正義と思い込み、コロナが怖いと脅かせば自分で何の検証もせずにコロナ撲滅を至上命題と反応する人々です。要は多数派日本人ではあります。

残念ながら日本の企業社会にもそんな、ステレオタイプ思考が蔓延していて、特に外国企業やMBAのマネージメント論からフィードバックされたコンプライアンス、ガバナンス、ともすればマーケティングなどの各概念を無批判、金科玉条と信じ込む人の含有率が高くなりすぎて日本企業本来の活力を奪っています。
平成総括:コンプラ至上主義が日本企業の活力を奪った
昭和の終わりとともに日本経済は、ジャパンアズナンバーワンとまで言われた絶頂から、失われた30年、長期停滞の平成時代を過ごした。景気循環だけを見れば、アベノミクスは戦後最長の好況をもたらしている体だが、所詮はドーピングめいた後ろめたさが付きま
実際にマーケティングひとつとっても言いたいことはたくさんあるのですが、それら輸入された企業管理の戦術論は多くがありがたそうでカッコ良いですが、日本社会とまったく違う階層、教育程度、人種などが乖離した社会を前提にした、言わば相互不信を前提にした仕組みだということなのです。
外国人の下で働くとはどういうことか② 企業文化の違い
インフルエンザや交通事故より死者数が圧倒的に少ないにもかかわらずコロナ感染のことだけに過剰反応したことで、日本の経済は深い傷を負いました。その傷がどれだけ日本人にとって長期に渡って不快で厳しい影響を与えるかについて具体的な検討がほとんど行わ...

日本企業がそんな欧米型企業の猿真似をしても絶対に太刀打ちできません。むしろ日本企業は、同質的な構成員を前提にした暗黙知的な価値観や知見の共有という、ならではの強みにもっと回帰すべきなのです。
確かに、ソニーや日産、武田薬品など一部企業はほとんど外資系と変わらないグローバルスタンダードな方向性に邁進していますが、現実にほとんどんの日系企業の実態は日本人の会社のままですし、それはそれで良いのです。現実問題、多くの日本企業はグローバルスタンダード=要は欧米人のルール、やり方では戦っても劣化バージョンでしかなく絶対勝てないと思います。日本企業はもっとならではの強み、やり方を見直すべきなのです。

それにしても何より「議事録」など大した仕事じゃないだろうチャッチャッと作れやという人に限って、それを作る人の負担感に鈍感です。
なぜ「議事録」作成に負担感があるのでしょうか。それはつまらない仕事だからです。創造性を発揮しづらい仕事だからです。さらには、現実に作った議事録が木端上司の保身程度の用途にしか使われず、誰も関心を払わないし、利用されないことを誰もが知っているからです。

自慢ではないですが、私の在籍していた広告代理店にはそういった形式的な文化や作業はほとんどありませんでした。冒頭私もコンタクトレポートを作成したと言いましたが、頻度としてはあくまで例外的な作業の範疇でした。それでもそのメンドくささが激しく記憶に残っているぐらいです。
クライアントとのコンタクトレポートを作成する意義として、あとで言った言わないにならないためというもっともらしい説明がありますが、我々の感覚から言えばそんな言った言わないというような関係になっている段階で終わっていて、普通は良好な関係の上で前向きな議論を進める状況しかありえません。百歩譲ってクライアントともめてしまったとき、そんな紙っぴらが役に立つかと言えば、交渉材料になりはしないでしょう実際には。日本は訴訟社会ではありませんからね。
その分のエネルギーは、密な意見交換そのものと知見の共有という日々莫大な暗黙知の拡大に費やすことが半ば文化になっていましたし、それが世間にもクライアントにも高く評価されていたわけですから、筆者が「議事録」なんて作らなくてもまったく問題ないと考えるのも体感的な確信なのです。

多くの日本企業がアホみたいな手続き的作業の幻想から解放され、そんな苦役にさらされるビジネスパーソンが一人でも少なくなることを願ってやみません。

記事の更新情報をお届けしています。ぜひフォーローください。

秋月涼佑のtwitter

facebookはこちらから。記事の更新情報をお届けしています。ぜひフォーローください。

タイトルとURLをコピーしました