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【#がんばれ京急】 京急を応援したくなる理由

京急神奈川新町近くで起きた踏切事故で起きた快特電車とトラックの踏切衝突事故は結構ショックでした。
京急、7日昼の運行再開目指す
横浜市神奈川区の京急線の踏切で下り快特電車がトラックと衝突し、トラック運転手が死亡、多数の乗客が負傷した事故で、京浜急行電鉄は6日夜、7日昼の運行再開を目指して…

誰もが他人ごととは思えない、日常の生活空間で起きた壮絶な衝突。京急ならずとも、鉄道を使わない生活など考えることもできない日本の都市生活者にとっては、心底肝を冷やされる事故です。

そんな中「#がんばれ京急」というワードがツイッターのトレンドに入ったことが話題となっています。
私もなんとなくわかります。ここで京急を応援したくなる気持ち。

もともと京急は日本の鉄道では珍しい広軌(幅広の規格)を採用していることやユニークな車両で、鉄道ファン界隈で人気があったこともあるかもしれません。
でもあまり鉄道に詳しくない我々からしても、何かと愛すべき存在と感じます。

まず沿線がユニーク。東京近郊の私鉄は、山手線のターミナルを中心に放射線上に郊外向かう路線が多いわけですが、京急の走る路線は何せ”海ぺった”です。
ギリギリ江戸時代の海外線の内側。旧東海道とも多くが重なるある意味非常に歴史的な場所を走るのです。
品川~横浜は概ね旧東海道。そう弥二さん喜多さんがお伊勢参りを歩いた道ですよ。
京急線とともに旧東海道を下りつつ、古い“地名”に思いを馳せてみた。(疋田智)
今回は日本一の大街道「東海道」をいこう。現在の東海道といえば、これ、すなわち国道1号線の方なんだけど(または東名高速道路、もしくは東海道新幹線?)旧東海道は、その1号線からちょっと東の方にずれている。

横浜を過ぎると、黒船来航以降の歴史的なスポット満載です。ペリーが来航した「浦賀駅」。1959年函館・長崎とともに開港した神奈川は現在の神奈川本町近辺「仲木戸駅」のあたりとされていますので今回の事故現場はまさに開港の地と重なります。1962年に江戸から京都へ向かう久光一行の通行を妨害したイギリス人4人が殺傷された「生麦事件」の「生麦駅」。1865年にフランスの協力で幕府が開設した横須賀製鉄所(後に明治海軍に引き継がれる)「横須賀駅」。
実はなかなかの歴史探訪心をくすぐる路線なのです。

でも明治以降は、埋め立て地の工場や港湾施設、倉庫で働く人々が多く住むざっかけない庶民の街となりました。特に戦後高度成長期に京急の駅近辺は駅も小さくこじんまりとした商店や小さな工場が軒を連ねる、山の手とは一味も二味も違う下町感覚あふれる気さくな街となっていきました。(今回そんな街の路地の狭さが自己の一因と考えるといたたまれないのですが。。。)

私は、特にJR東海道線と京急が並行して走る品川~横浜の間が大好きです。
なんでも街の中に挟角の構造があると人間は心地よいそうです。確かに、下北沢とか三軒茶屋とか吉祥寺など人が集まる街には線路で区切られた挟角の構造が確かにあります。
京急とJRの場合、挟角と言うわけではないのですが、二つの定規に挟まれたような不思議な心地よさがあります。
特に私が好きなのは「川崎駅」周辺です。

<写真川崎市資料より>
そう京急とJRは「川崎駅では」ほとんど100mぐらいと近接して並行しているのですが、100mとはいえ隙間があり。このニッチが他にない個性と居心地の良さを川崎に与えているのですよね。

巨大デパートも高級スーパーも持たない京急ですし(と書いてから上大岡に京急デパートがあることと、元町ユニオンが京急グループと教わりました。失礼京急!)、庶民の街の狭さがゆえの事故がなんとも切ない限りに関しましたが、散乱する果物をみながら「がんばれ京急」と私も素直に感じたのでした。

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