【アゴラ掲載】小泉家が日本のケネディ家になる日

昨日から掲載いただいた記事ですが、すでに多くの方に読んでいただいたようです。
ありがとうございます。

私自身は小泉進次郎さんの政治的手腕をまだ見極められてはいませんから、今回の記事で小泉家がケネディ家のように影響力ある名門になって欲しいという待望論を語ったわけではありません。
私自身の通常モードは、どちらかというと政治リーダーに厳しく批評的です。そうでなければアゴラに寄稿などしていませんよね(笑)。とりわけ名門というほどの出身ではない私としては、当たり前に親の七光りで世に出てくる人たちにちょっとした反感(ただの嫉妬?)さえもっているぐらいです。ご存知の通り広告業界にそのような人はとても多いのです。

でもそんな私だからこそ、世の中が名門に憧れ熱烈に支持する空気が強いことに素直に衝撃を受けるのです。今回の小泉さんと滝川さん結婚に対する大向こうの反応(もちろんジャーナリズムは、それが生き様ですから違いますよ)は大変好意的で熱烈なカタルシスを感じるものでした。

記事中にも触れたのですが、一番体系的に人の世の名門待望意識がいかに強いかを思い知ったのは塩野七生氏の名著「ローマ人の歴史」です。初期のローマの政治体制というのは、あの時代としては驚くほど民主的なもので、市民(奴隷は除かれますが)に対して政治が開かれていますし、機会も均等なむしろ理想主義的といっていいほどの機会平等の実力主義です。きっと日本のリベラルも大喜びする体制だと思います。それが歴史を重ね帝国の版図が広がるとともに名門が形成され、徐々にエリート主義、貴族主義、封建的な傾向となっていくのですね。あのカエサルもなんだかんだと名家出身ですし、名家でなければ歴史上の英雄にとなる機会はなかったでしょう。そしてローマ帝国も末期となれば、その名門主義が悪しき機会不均衡を生み、実力ある人も世に出れなくなり帝国崩壊に向かっていきます。

まあこんな歴史はローマだけではないです。
つまり名門主義の真逆の立場の私から見て、人間の世の中のそんな機微に棹をさしようなどなかろうから、きっと小泉家はケネディ家のようになるだろうと予見するから、せめてまっとうであってくださいね。
というような諦観の願いを込めた原稿です。

世の中に私一人だとしたら、小泉氏の国会議員への立候補を世襲という時点で失格とします。
でも。そんな感性が少数派であることも自覚していますし、歴史を見る限り名門を名門にしてしまう(したい)のは、あくまで世の中の方なのですから抗いようがないと考えています。

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