【第7回】衝撃の書「ホモデウスを読む」 – 「戦争」のリアリティ

第三の朗報は、戦争もなくなりつつあることだ。歴史を通してほとんどの人間にとって、戦争は起こって当然のものであり、平和は一時的で、いつ崩れてもおかしくない状態だった。国際関係はいわゆる「ジャングルの法則」〔訳註 もともとは、自然界における適者生存・弱肉強食の法則〕が支配しており、たとえ二つの国家が平和に共存していても、戦争はつねに一つの選択肢として残っていた。

ユヴァル・ノア・ハラリ. ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 (Kindle の位置No.305-309). 河出書房新社. Kindle 版.
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さて、直近100年、せいぜいこの200年に生きる我々、現代のサピエンス(人類)を除いては、700万年間ほとんどのサピエンスが生まれて死ぬまで逃れることができなかった3つの宿命「飢饉」「疾病」と続いていよいよ「戦争」のお話です。

実はこの「戦争」というテーマ、日本人は考えること自体がとっても苦手です。「戦争」について考えること自体が「戦争」を招くかのようなタブー感さえ漂います。
誰しも「戦争」はいやに決まっていて、「平和」を望まない人はいないのですが、「平和」に至るアプローチに対する考え方が真っ向から違っているのです。
「平和憲法」順守を譲れない一線と考える政治家は多く、専守防衛、日本に「戦争」という選択肢は将来的にも存在してはならないとの主張は一定に支持を受けています。
一方で、「戦争」に対するリアリティを失ったことをもって、現代日本人の特徴、もっと言えば堕落ととらえる文化人や政治家は非常に多いです。典型的には石原慎太郎氏など保守論客は、日露戦争勝利や真珠湾攻撃に象徴された日本人の強さ、恐ろしさに懲りた欧米諸国が「平和憲法」を押し付けたことを起点に、日本人は自分の国を自分で守るという当たり前にして一人前の国家としての意識さえ失ったと主張します。三島由紀夫氏の自決も、多分に訳のわからぬものだったでしょうが、少なくとも同様の主張がうかがえます。この論点について掘り下げることが本企画の目的ではないので、ここではこの程度にとどめますが、「平和ボケ」と呼ばれて久しい現代日本人が「戦争」に対するリアリティに鈍感なことだけは事実であるように思います。

考えるに、他民族との「戦争」というのは凄まじいものですよね。顔も言葉も文化も違う人々が突然村を襲い、ありったけの持ち物を略奪した上に、年寄りは殺され、妻子は犯され、働き盛りの男は奴隷として知らない土地に家族と離れ離れにされて連れていかれ、彼の地で死ぬまでこき使われて無念のまま果てる他ない。世界の歴史には、そんなありえないような残酷で満ちています。かのローマ帝国も衰退期には海からの海賊襲来を守れなくなり、残ったわずかな人々は、海から離れた断崖絶壁の上に細々と住むしかなくなります、というかそのローマ帝国自体が蛮族を征服し、奴隷化しながらローマの繁栄(パックスロマーナ)を築いたわけです。例えば、万里の長城を見ても、いかに異民族の襲来が恐ろしいものだったかが分かるというものです。(しかもその長城建設の重労働を戦争で負けた奴隷たちが死ぬまでこき使われて営々築いたわけです。)

一方で日本はというと、もちろん古代より「戦争」は多々あったわけですが、見たことも話す言葉も違う人々が襲ってくることはほとんどなかったわけです。(もちろんアイヌの人々など日本にも先住民族はいたわけで、その存在を無視するという意味ではありません。)
有史以来でも元弘や朝鮮出兵など、外国と戦争した例はありますが、かなり限られます。もちろん内戦も十分に悲惨なものだったでしょうが、やはり海で隔てられてきたこともありますし、聖徳太子の「和をもって尊しとなす」ではないではないですが、同質性の比較的に高い日本という地政的、人種的特性が「戦争」のリアリティを失わせる土壌になっているようには思います。ただし、これは明らかにラッキーなことに違いありません。

<元寇(文永の役)>

余談ですが、女子フィギュアのアリーナ・ザギトワ選手、美しいですよね。彼女だけでなく、ロシアやウクライナの女性が子供の頃から美人過ぎることにはいつもびっくりします。
日射量が少ないことによる白い肌、青い目。他にも、日本のように一か所に定住して農耕する社会では女性が成熟することを急ぐ必要がないので晩熟というか女性は成人しても幼い(ネオテニー)が、一か所に定住しない狩猟採集生活の社会は安定的でなく、女性が比較的に早熟であるという論に触れたこともあります。
彼女たちの祖先が住んでいたところがユーラシア大陸の真ん中。多くの民族が覇権を凌ぎあい殺しあってきた歴史を考えると、若くて美しい女性のだけが殺されず生き残り子孫を残してきた淘汰の結果が、彼女たちの美しさのひとつの要因ではないかなどとも、恐る恐る考えてしまったりもします。ただ、この点については研究不足で今のところ確証はありません。

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