【第15回】衝撃の書「ホモデウスを読む」 – 「死」は無念のゲームオーバーなのか?

じつのところ、現代の医学はこれまで私たちの自然な寿命を一年たりとも延ばしてはいない。医学の最大の功績は、私たちが早死にするのを防ぎ、寿命を目いっぱい享受できるようにしてくれたことだ。たとえ今、私たちが今癌や糖尿病をはじめとする主な死因を克服したとしても、ほとんどの人が九十歳まで生きられるだけであり、百五十歳にはとうてい届かず、五百歳など問題外だ。そうした寿命を達成するためには、医学は人体の最も根本的な構造やプロセスを徹底的に改良し、臓器と組織の再生法を発見する必要がある。二千百年まで
それができるかどうかはまったく定かではない。
(中略)
だから、たとえ私たちが生きているうちに不死を達成できなくても、死との戦いは今後一世紀間の最重要プロジェクトとなる可能性が高い。人命は神聖であるという私たちの信念を踏まえ、そこに科学界の主流の動態(ダイナミックス)を加味し、資本主義経済の必要性まで合わせれば、死との執拗な戦いは避けられないように見える。私たちはイデオロギーの上で人命を心底重視しているので、死をあっさりと受け容れることはけっしてできないだろう。何かしらの理由で人が死ぬかぎり、私たちはそれを克服しようと奮闘することだろう。

ユヴァル・ノア・ハラリ. ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来
(Kindle の位置No.569-578). 河出書房新社. Kindle 版.
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一番俯瞰した視点から人間・文明を考えるとき、「死」をどうとらまえるか?という論点は避けて通れません。「ホモデウス」でも多くのページを割いて論考していますのでもう少し「死」について触れていきたいと思います。
なぜなら、それが個人の「死」であれ人類の「死」であれ、死んだり絶滅してしまえば、ワンチャン死が虚無でないとして、少なくとも現世のその他の問題は吹っ飛んでしまいます。地球温暖化も香港の人民解放軍もラグビーワールドカップも今日のランチも、「死」というゲームオーバー機能の前にはまったくかげろうのようなものでしかありはしません。
やはり「死」は控えめに言っても大問題に違いありません。

<クリムト 生と死>

すでに前回、前々回と紹介した養老孟司東大解剖学の元教授の「死」に対する合理的な向き合い方は「考えても無駄。考えない」でした。
さてもう一人有名な日本人の老いや死に対する言葉を紹介したいと思います。
石原慎太郎氏は「無念」という言葉を使っています。
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石原氏はあまりにも有名ですから、印象論も含めて好き嫌いを言われることが多い方ですが、若くして芥川賞を受賞した作家であり、恵まれた体格ルックスで弟の故裕次郎氏と映画界でも活躍し、政治を始めれば下手な閣僚の何倍も権限があると言われる都知事を長く務めるなど、まあ人生を充実させる達人であることに間違いはないように思います。

その一般人離れした充実ゆえの「無念」という言葉なのでしょうか?
その著書を読んでも、優れた作家にして政治という現実社会とも真正面から向き合った人をして、ヨットマンして人より何倍もの壮健さを誇っていた自らが老い死に向かってゆくことの、どうしようもない”割り切れなさ”を綿々と書いてらっしゃいます。親愛の情を込めてあえて評させていただくと、壮大な愚痴という感じです。

でも、優れた作家ならでは、普遍的な愚痴かもしれません。どうしてもいやなのに避けようがなく考えてもしょうがないこと、考えても避けられないこと。確かに「無念」という他ないのかもしれません。もしかしたら「やるせない」とか「切ない」という言葉もあるかもしれません。

死がゲームオーバーとしてそれを電源オフ、再度オンでリセットできたらどんなに安心でしょうか。
そうSFの世界には、そんな想定さえ作品になっているのです。

作品名は残念ながら覚えていないのです。早川文庫か創元推理文庫の一冊だったように思います。
その時代人類(もしかしたら人類以外の設定だったかもしれませんが)はすでに「死」を克服しています。つまり不死。そうなると、結構何をやっても刺激・スリルがない世界になっていてみんな退屈しきっています。そんな時代に一番スリルがあるエンターテイメントはなんでしょうか?
そう「死ぬ」ことなんです。
このSFでは、究極のエンターテイメントとしてみんなバンジージャンプやスカイダイビングをするような感覚で「死」を”エンジョイ”します。確か何かに飛び込むか飛び降ります。でも再生技術が完成していますから、完全な「死」を経て全員生き返ります。

なんとも荒唐無稽な感じがするかもしれませんが、以前お話しましたが、全身麻酔は完全に意識がなくなりますからある意味「死」に近いかもしれませんし、SFに描かれてありえないと言われた概念が早々現実に多くなっていることを考えると、荒唐無稽とばかりは言えない気もします。

例えば冷凍技術も興味深いですよね。鮮度の維持というレベルではすでにすごいことになっているわけですが、生きたまま冷凍して、解凍した段階で生き返るあれはどうなってるんでしょうね。宇宙を何千光年移動するとしたら不可欠な技術です。
冷凍された金魚が生き返る?(江頭教授): 東京工科大学 工学部 応用化学科 ブログ

今の段階では、死んで生き返るというレベルでは技術が確立していないようですが、なんとなく技術的にはどこかで実現できてしまいそうな感じがしますよね。これなぞも不死とは違いますが死をコントロールできてしまうという意味では興味深いです。

とにもかくにも不可能かもしれなくても、確かに人類が不死の夢を追いかけるだろうことは「ホモデウス」作者ハラリが言う通り間違いのない事実ではあるように思います。

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