【SankeiBiz掲載】「ロレックス」 すたれない愛されブランドの“ツンデレ”感

この「ブランドウオッチング」連載、テーマを考えるのにあまり区切りがなくて、普段の生活で通奏低音のように常に頭の片隅でなんとなく考え続けていて、ふとした瞬間に絞れてくるという感じで決めています。
2週間に1回の小論考でこれですから、週刊誌で漫画を連載されている漫画家の方とか、新聞連載などを執筆されている大作家の方など本当にスゴいなあ。とあらためて感動してしまいます。
昔、すでに大家だった手塚治虫先生が、質素な仕事部屋にこもって、文字通り「うんうん」うなりながら徹夜して、行き詰まると青竹をふみながらも悩むという密着取材のテレビドキュメントを見た記憶がありますが、やはり何等か表現することの産みの苦しみというものはどんな大作家でも変わらない大変な作業だと思います。間違いなく言えることは、金銭目当てではとてもできない仕事だろうなということです。やはり恥ずかしくない仕事をして評価してもらえる人に読んでもらう喜びやりがいがあってこそできることだと思います。

ちょっと引き合いに出すのが申し訳ないお話になってしまいましたが、話を「ブランドウオッチング」に戻しますと、いつもテーマとして書きたいなあとある意味候補筆頭にいつもいるのだけど、大物過ぎて手が出ないテーマというのが多々あります。「レクサス」「サイゼリア」「セブンイレブン」「SAPIX」など語ることの多い独自のブランド戦略とその世界での存在感。さっさと書けよということなのですが、生半可に手を出せないというか、「ここぞというとき」用に取っておいてしまうのです。まあ我ながら貧乏性ということは間違いなく、美味しいものを後回し、というよりも食べごろを過ぎてでもしつこく温存しておきたいアホなところがありますので、苦笑する他ありません。

ということで出し惜しみの極みだったのが「ロレックス」なんですよね。
とにかくロレックスがスゴイブランドであることは、私が中高生の頃からまったく変わらないわけです。
その頃から、ポパイだとかメンズノンノだとかちょっとしたライフスタイル系の雑誌には結構ロレックス絶賛、いかにスゴイかうんちく記事が掲載されていました。

数十年の年月を経過して、答え合わせをするような事象ってあると思います。
てっきり子供の頃の私は、大人になってそこそこ経つ頃には醜い電柱なんてものはこの世からすっかりなくなるだろうと思っていたのですが、よもや私の人生中ではそんな日本を見ることはできそうにありません。
コロナパニックで、日本の電線地中化は見果てぬ夢で終わりそう
本当に残念なことですが、少なくとも日本では死者がほとんど出なくなり重症患者も毎日の交通事故負傷者数の数分の一にも関わらず相かわらず「コロナが収束するまで一切の社会活動を止めてでも安心したい」というコロナ脳の皆さんの声が大きいですね。 ...

一方で、やっぱりなと正解だったのが、当時からのトップブランドがトップブランドのままである、というかより価値が高くなっているという事象です。
広尾ガーデンヒルズは売り出された時点でガキの目から見ても傑出した価値が明らかでしたし、フェラーリが無二の自動車ブランドであり続けるだろうことは、スーパーカーブームの頃から子供でも予見できたことなのです。
もちろん中には陳腐化の闇に落ちていくブランドもありますが、トップブランドに限ってはどうなのでしょうか?仮に一時期焼きが回っても、結局は再生のしようはあるようです。そんなリアルは昨年度公開の”House of GUCCI”に興味深く描かれていました。

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