【第31回 家族に障害児がいます from N.Y.】距離感の無い子

他人との距離の取り方など、成長する中で様々な体験から会得していくものもあるけれど、大方の人は教えられなくてもむやみに他人の傍に近寄って行ったりすることは3歳以降ほぼないと思われる。しかしうちの子の場合、8歳位まで通りすがりの知らない人の手を取っていきなり繋いだり、もう少し小さい頃は知らない人に抱っこをせがむポーズをとったりして周りの人を困惑させていた。彼にとって他者という存在の概念がかなり希薄なのではないかと思う。彼にとって他人という存在がどのように映っているのか大変気になる。現在でも気を付けていないと、正面から歩いて来る数人の人のど真ん中を平気で通り抜けていったり、ガラガラな電車などの車内で、座っている人の隣にわざわざ座ったりする。他の座席に誰も座っていなくてそんな行為があると、隣に座られて人は「何?」という表情で息子の顔を見たりする。そしてそんな時に例の盛大な奇声をあげられるとビックリするなんてもんじゃない。驚きそして恐怖という感情に襲われることだろう。こちらはすかさずそんな息子の手を引いて空いている別の座席へと誘導。常に彼の行動に注意を払っていなければ、面倒なトラブルに巻き込まれる可能性もあるだろう。他者というものが彼の意識の中になければ、距離感をどう教えればいいのか本当に難しいと感じる。何事も教えるには相手の理解力というものが必要になってくるけれど、うちの子の場合は基本的な理解力も劣っている上に感心の無いことに対しては本当に何を言っても聞いてない。理解しているかどうか確認する術もあまりないから難しい。

(写真:pixabay)

もう何年も昔、息子がまだ4歳くらいの頃だったと思う。現在よりももっと他人というものが彼に認知されていなかった頃。息子を連れてアート作品などが展示されている公園へ行った。結構大きな彫像などのアート作品が展示されている公園だったのだが、息子はある作品に向かって突進して行った。何度も後ろから名前を呼んで立ち止まらせようとしても全く聞こえていないのか、スピードは全然緩まない。そのうち前方を歩いていた二人のご婦人の真ん中を切り裂くように駆け込んで行った。その際にどちらかのご婦人に少しぶつかってしまった。しかし謝ることもなく、まして振り向いたり立ち止まったりもしない。それ以前にもこのご婦人にはぶつかりそうになって、ギリギリのところで何とか腕を引っ張って止めたりしていたので、ご婦人達からの印象はあまり良くなかったのもあったと思う。最終的に私の呼び止める声で立ち止まった息子を見てご婦人達は「この子は母親の声しか聞こえていないのね。」と苦々しい感じで言葉を吐き出された。実際は親の声も殆ど届いていなかったけれど全く反論できず、本当に申し訳ありませんと首を垂れるのみ。息子に言い聞かせるフリはするけれど、本当にフリ。だって言い聞かせて理解出来ているのならこっちはこんなに苦労なんてしていない。話しても全く通じない相手に理解させるのは普通の子育てとは違う次元のお話。こういう小さいトラブル続きで親は心を病んでいくのだろう。外出するのも怖くなるし、居場所がどんどん無くなっていく。

11歳になった現在でも相変わらず他者との距離感は全く無い。体が大きくなってきている分、益々変な人という感じが出てしまって何とも言えない気持ちになる。常に傍に付き添って、トラブルが起きないように事前に腕を引っ張ったり走りださないように声掛けをしたり。それでも全て完全に彼の行動をコントロールできるものではない。残念なくらい衝動的に行動することが多いので予測が非常に難しい。今まで大きなトラブルにならずにここまで来れていることが奇跡的。奇跡に感謝、そして私の心労はまだまだ続く、、、、。

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