【第29回 家族に障害児がいます from N.Y.】期待をしない育児

我が子が自閉症だと伝えると、時々「何か特別な才能が隠されているかもしれませんよ?」的なことを言われる。確かに発達障害と言われる障害特性を持つ人々の中には、障害特性を活かしてとてつもない成功を収める人もいるし、得意な分野を強化して社会的にも尊敬される立場の人達もいる。本当に羨ましい話だ。我が子に隠れた才能があればいいなと願わない親はほぼいないと思われる。そして私もそういう親の一人として、我が子の成長に望みを掛けた時期もあった。でもそんな夢は6歳前には木端微塵に吹き飛んだと言っても良いだろう。知的な遅れを持つ子供は五体満足であっても、自分の体の機能すら満足にフル活用出来ていない状態だ。知的な遅れがあるということは全ての面で健常者より理解力が劣る。そしてそこに自閉症という厄介な特性がプラスされるものだから、別の意味で鬼に金棒状態。何を教えるにも一筋縄ではいかない。やはりある種の分野で特出した能力を発揮する人達は発達障害による特性による困難もあるだろうけれど、それを補って余りある特出した能力があることは間違いない。つまり知能指数は非常に高いか、少なくとも通常レベルの知能をお持ちの方々であると思われる。それでも生活を送っていくなかで、様々な困難を解決しながら乗り越えていかなければいけないことは容易に想像出来る。単純に羨ましいとも言い切れない面もあるが、それでも何とか自力で生きていける可能性を感じられることは非常に羨ましいと言わざる得ない。
我が子が自閉症だと伝えると、時々「何か特別な才能が隠されているかもしれませんよ?」的なことを言われる。確かに発達障害と言われる障害特性を持つ人々の中には、障害特性を活かしてとてつもない成功を収める人もいるし、得意な分野を強化して社会的にも尊敬される立場の人達もいる。本当に羨ましい話だ。我が子に隠れた才能があればいいなと願わない親はほぼいないと思われる。そして私もそういう親の一人として、我が子の成長に望みを掛けた時期もあった。でもそんな夢は6歳前には木端微塵に吹き飛んだと言っても良いだろう。知的な遅れを持つ子供は五体満足であっても、自分の体の機能すら満足にフル活用出来ていない状態だ。知的な遅れがあるということは全ての面で健常者より理解力が劣る。そしてそこに自閉症という厄介な特性がプラスされるものだから、別の意味で鬼に金棒状態。何を教えるにも一筋縄ではいかない。やはりある種の分野で特出した能力を発揮する人達は発達障害による特性による困難もあるだろうけれど、それを補って余りある特出した能力があることは間違いない。つまり知能指数は非常に高いか、少なくとも通常レベルの知能をお持ちの方々であると思われる。それでも生活を送っていくなかで、様々な困難を解決しながら乗り越えていかなければいけないことは容易に想像出来る。単純に羨ましいとも言い切れない面もあるが、それでも何とか自力で生きていける可能性を感じられることは非常に羨ましいと言わざる得ない。

<写真:Pixabay>

さて、我が家の自閉症プリンス。成長をまだかまだかと首を長くして待ち続けて早11年。非常にゆっくりとした速度で確かに彼は成長している。だが未だに幼稚園児レベルの内容の事を学び続けている息子を見ている限り、どの角度から切り取ってみても奇跡のようなことは起きていない。メディアで時々報じられる、障害を持ちながらも努力と工夫で活躍している人がいるけれども、彼らのような存在は障害者界の中の氷山の一角ではないかと思われる。そしてそういう立派な人達を見て励まされるよりも落ち込む私。奇跡ってなかなか起きないから奇跡ってことなんだけど、やっぱり最初はどこかで期待していた部分があるから、現実を日々目の当たりにしていると打ちのめされる。期待感はどんどんしぼんでいって今では希望は持ちつつも期待せずを貫く姿勢になってきた。これは障害を受け入れるということにも繋がってくると思う。そして自分自身の心の安定を守るためにも必要なことだと思っている。過度に期待してその期待が打ち砕かれるたびに絶望感や焦燥感などで心の中が大騒動だ。下手したらイライラしてきて子供に当たってしまうこともでてくる。「何でこんなことも出来ないの!」と声を荒げてみたところで何も解決しない。むしろ相手に癇癪を起こされて更に状況がカオスとなる。本当に危険。深呼吸って大事。そして軽く諦めるという気持ちも大事に思う。頑張っても必ずその頑張りが結果として現れてくることばかりではないことを日々痛切に感じている。諦めるって言葉は何だかとても悪い表現のように思われているけれど、本当は生きていくなかでなかなかに大切なことなのかもしれないと思う。私や家族を励まそうとして言ってくれていると分かっていても「諦めないで、どんな可能性が秘められているか分からないから」という言葉はポジティブにも聞こえるし、ネガティブにも捕らえられてしまう。多分、殆どの家族が諦められないからこそ苦しい気持ちに圧し潰されそうになったりしているのではないだろうか?私も自分自身がこんな立場にならなければ気付けなかった感情が色々とある。励ましてもらいたいのではなく、ただただ気持ちを受け止めて欲しいという障害者本人や家族達の想い。愚痴を百万回吐いたっていいじゃないか、息だって吐かなきゃ吸えないのだからって誰かに背中をさすってもらいたいのだ。もう正直地獄からの叫びに近い叫び声が心の中でこだましまくっている。支えて欲しいのは障害者本人だけでなく、その障害者を支える周りの人達も同じ。頑張れないのは怠けているのではないのです。もう燃え尽き寸前の状態になっているのであって、そんな時はそっと見逃してほしいと思う一家族の一人です。

【過去記事一覧へ】家族に障害児がいます from N.Y.

記事の更新情報をお届けしています。ぜひフォーローください。


facebookはこちらから。

タイトルとURLをコピーしました