【第21回 家族に障害児がいます from N.Y.】救急外来へ行く

前回、息子を連れて医療機関へ行くことの困難さについて延々と書き述べたが、そんな我が家がとうとう救急外来へお世話になる日が訪れた。あれは数年前、息子が7歳頃だったと思われる。以前に息子も大変楽しそうに過ごしたことがあった、トランポリンで遊べる屋内施設を目指してインターネットでディスカウントチケットを購入し、いざ出陣!と勇んで出かけた我が家一同。90分間利用可能のチケットを片手に準備万端でワクワクしながら出かけた私達。息子は現地に到着するまで、事の次第を理解していたとは思えないけれど現場の施設に到着したら大喜び!彼は良い事も悪い事も決して忘れない記憶の持ち主。どうやらトランポリンで遊んだ楽しい記憶が蘇ってきたようで、喜び勇んで待ちきれずに前進する息子。こういう時、親というのは無条件に嬉しいものですね。子供の喜ぶ姿は親の元気の素。さぁ、思いっきり90分間遊んでちょうだい!と笑顔で息子と監視役の旦那を送り込んだ私。私も外側からしっかりと監視。息子は喜び、興奮のあまり施設の原則である一人1枚のトランポリンで遊ぶというルールを完全に無視し、興奮してトランポリンからトランポリンへと駆け回り始めた。監視役の旦那の制止する声も、息子を取り押さえようと伸ばした手も届かず、あっという間に他所の子が跳ねたトランポリンの上に足を乗せてしまった息子。自分のタイミングでない形で空中に跳ね上がった彼の体は不本意な体制で地面に着地。と同時に息子が泣き叫んだ。最初は予想しない形で転んだことでビックリして泣いたのかと思ったけれど、どうもそんな泣き方ではない。旦那に抱きかかえられて退場してきた息子は激しく泣き叫んでいる。落ち着かせようとしてみるが全く泣き止む様子ではない。よく観察してみると、どうも足を痛めたようだ。立たせようとしても立つことを拒絶する。入室して10分も経たずにあっという間に退場して施設を後にした私達。施設の人が渡してくれたアイスパックを負傷しているであろう膝に当てることすら激しく拒否する息子。途方に暮れる我々。取り合えず帰宅することにして、家で息子の様子をしっかり観察することにした。

帰宅後も息子が泣き止むことは無く、かといって痛めているであろう膝近辺を冷やすこともできず、痛み止めを飲むこともなくただただ時間だけが過ぎて行く。その間もずっと泣き続けている息子の様子を見ていたら段々と不安になってきた。普通の子だったらどこかどんな風に痛いのか、何となく親に伝えることは出来るが我が子は何も語ることも出来ず、ただ激しく泣くのみ。どの位痛いのか、どんな風に痛むのか全く分からない。こういう子供が病気やケガをした時に一番困るのは本人が何も伝えられないということだ。泣いたり癇癪を起したりということでしか、自分自身の不快感や不調を訴えることが出来ないのだから本当に困る。具合が悪くて泣いているのか、それともただの癇癪なのかを見極めるのは親でも大変に難しい。しばらく様子を見てみようと思っていたが、段々と不安になってきたので夜になり思い切って近所のEmergency Roomを訪ねることにした。取り合えず建物の中に入るのは問題無かったが、問診のために通された病室らしき場所に入ってからは恐怖のために絶叫。

eroykaによるPixabayからの画像

しばらく泣き叫んでいたけれど、待たされていた時間が長かったので徐々に落ち着き始め、何も恐ろしい事が起きないということを認識したのか待合室にある玩具などを弄ったりして過ごす。そしてようやくドクターが現れてまずは息子の膝付近のレントゲンを撮ることになった。旦那が息子を連れてレントゲン室へと入る。ドアの向こう側から、旦那とレントゲン技師が悪戦苦闘している声が漏れ聞こえてくる。そして深夜の救急病棟に響き渡る息子の大絶叫。廊下に座って待っている人々が、「何事が起きているの?」といういぶかし気な表情でこちらを見ている。しばらくして息子の絶叫が聞こえなくなったと思ったら、大柄のレントゲン技師さんが「He was very active.」と言いながら額の汗を拭う振りをしながら現れた。私は「そうでしょう、そうでしょう」と心の中で何度も答えながら、苦笑いで頷くのだった。レントゲンの結果、特に大きな問題は無さそうだったが、強い衝撃を受けたことで酷い打撲のような症状があるらしく、数日間は歩くことも困難だろうとのことだった。大きな問題が無かったことでほっと胸をなで下したが、これが骨折などだったら本当に厄介なことになっていたな、、とほんのりと肝が冷えた。何だかんだと大騒ぎしながら無事に診察を終えたのが夜中の3時頃。もう家族全員ぐったり。病気も怖いけれど怪我もウンザリ。本当に取り扱い注意の男だとつくづく思った夜だった。

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静かな息子

診察を終え、無事に帰宅して安心したのかその日は皆ぐっすり。そして翌日、息子は膝の痛みから動けずにじっとソファの上に佇んでいる。静かだ、、、、。それが夫婦で最初に思った感想だった。こんな静けさは息子が生まれて初めてではないだろうか?彼が生まれてから常に、激しい足音や物音を立てながら部屋中を動き回っているのが当たり前だったので、息子が家にいるのに何の物音もしない状況は本当に新鮮だった。本来ならば息子のケガの状態を心配しなければならないのかもしれないが、それよりもこの落ち着いた空気感を楽しむ気持ちが先行してしまった私だった。「あぁ、、、家族全員いながらもこの落ち着きある空間。これが普通の生活なのだろうか?」と思ったものだった。歩けない息子は学校へ通うことも出来ず、学校側も歩けないなら学校に送って来ないようにということだったので、1週間ほど学校を休むことになってしまった。学校を休ませるというのは非常に悔しい事だったが仕方がない。でも動けないから息子は静かだし、静かだと何だかケガをしていて可哀想にも感じる。甲斐甲斐しくお世話でもしちゃおうかな、、なんて考えていたのも最初の二日だけ、三日目くらいからは歩けないけれど片足でケンケンし始め、気付いたらケンケンで部屋中を移動するようになり、あっという間に静かな生活は終わりを迎えた。片足を負傷しようとも、ちっともジッとすることが出来ない騒がしい脳の持ち主と一緒に暮らすというのはこういうことか、、、とガックリと肩を落とした私だった。

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