日本の政治家がここまでポンコツになってしまった理由

もはやなんとも言葉がありません。
新型コロナ流行という国難であぶり出された、日本の政治のポンコツ加減。

政権与党の自民党も自由飲酒党とネット上ではからかわれる始末ですし、公明党までもの体たらくですからガックりきました。
かと言って立憲民主党はじめとする野党も、もはやお里が知れてしまっています。挙句の果てに小池百合子氏の国政復帰まで取りざたされているのですから開いた口が塞がりません。
もはや政界に、こういう体制ならばなんとかなるかというオルタナティブ案がまったく存在しない状態に絶望感しか感じられません。

まあそう言えばということで言うと、政治活動にまったく興味がない私とて、国会議員含めて多少の人を直接知っていますし、
秘書などその周辺の人も知っていますが、まあロクなもんじゃない。
まともじゃ生きれない、カネと権力で一山当てたい山師のようなポンコツ揃いの人々です。
選挙もありますし、候補になるプロセスを含めて地道な人間が取り組める職業ではまったくないがゆえの必然なのでしょうね。

公務員も世の中がイジメ過ぎて若者のトップ層はもはや行く気がなくボロボロのようですから、政治家・公務員という国民にとって重要な仕事をすべき、本来の意味の良きエリートであるべき人々の質がここまでポンコツ化すると、本当にデメリットも大きいですよね、これは結局国民にとって。

憲法を含めそう簡単に制度変更できるものでもありませんし、他により良い制度もあるわけではないですから、
とことん一度ダメになって、自民党に対抗するような見るに見かねた有志が立ち上がるのを待つ他なさそうです。
想定と期待としては、若手の起業家やビジネス分野からバランス感覚やビジネスセンスある人に出てきて欲しいとは思いますが、優秀であればあるほど大多数の勢力のポンコツさにやってられなくなり潰されるでしょうから、かなりの集団と財政的基盤での戦略的立ち上げが必要となるでしょう。

それにしても日本の政治家がここまでダメになった理由がなぜか、本当に不思議に思いつつも考えてしまいますが、
やはり安全保障に対する意識が皆無だからだと思います。
要は平和ボケです。

歴史を見れば、政治と言うのは安全保障と表裏一体というかほぼ同義の人間活動に他なりません。

José Manuel de LaáによるPixabayからの画像

名著塩野七生氏の「ローマ人の物語」などを通して読むと鮮やかにそんな真理が立ち上がってきます。
Amazon.co.jp: ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫): 七生, 塩野: 本
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集団にとって安全保障が実現しなければ、経済も生活もまったく二の次にせざるを得ない絵に描いた餅です。
もっと言えば、多くの時代、多くの国で最高権力者は、すなわち軍事力の総帥者であったわけです。
まさに集団が家族が個人が、生きるか死ぬかというリアリティの真剣さの中で、全人格的な生き残りを図る究極の人間活動が政治に他ならない。
日本でも黒船以降、植民地にされるかされないかと言う危機の時代を生き抜いた明治維新以降を思い出せば、いかに現代日本の政治がスーダラ節の適当な気分で運営されているか分かろうというものです。

やはり三島由紀夫が警告していた通り、第二次世界大戦で敗戦し、戦後徹底的な武装解除を物理的にも心理的にも強いられた日本人はまさに文字通り骨抜きの状態にされていたわけでしょうね。
それが今回の新型コロナという危機(私個人は疾病としてより社会的パニックの危険性がよっぽど高いと思っているわけですが)においてまさに露呈したということではないでしょうか。

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