政策の是非はともかく、大阪「都」というネーミングは大失敗

私は東京の住民ですし、政策の良し悪しや政治的な動向についての論評は一度ここでは置きたいと思いますが、何にせよ二度民意が示されたことは非常に重いですよね。

ともあれ、大阪都構想で私がずーと気になってきたのは「都」というネーミングです。

かつて芥川賞作家でもある石原都知事は、「都(みやこ)」が国の中に二つあるのはおかしい。とこだわっていましたし、モノ申していました。

大阪市の橋下徹市長が大阪府の名称変更を目指すと表明したことについて「(都を名乗るならば)それは全然間違い。迷惑千万だ」と述べた。石原知事は「国家のキャピタル(首都)は1つしかない」として橋下市長の考えに反対する姿勢を示した。
「大阪都」名称で応酬 石原知事と橋下市長
東京都の石原慎太郎知事は31日の記者会見で、大阪都構想に道を開く大都市地域特別区設置法の成立に関連し、大阪市の橋下徹市長が大阪府の名称変更を目指すと表明したことについて「(都を名乗るならば)それは全

その後誰も何も言わなくなりましたが、石原都知事も政策的な部分は反対してなかったんですよね。
何にせよ、「都(みやこ)」が二か所あるのは言葉としておかしいし違和感があると。

いやほんとに私もそう思うんですよね。
かつて「三都物語」という、JR西日本のキャンペーンがありました。
奈良、京都、大阪の近畿三大都市を巡る観光を訴求するものでしたが、かつてまさに都があった奈良、京都、確かに大化の改新の頃は大坂に難波宮(なにわのみや)ということで都があったわけですよね。もっと言えば、その後大津宮と言うことで滋賀県に都が移ったこともあるわけです。当時は下水や上水設備もありませんから、多くの人口が同じ場所で長い時間住み続けると疫病が流行ったりで遷都せざるを得なかったと言われていますね。
大阪に「都」があった7世紀 難波宮跡(大阪市) 古きを歩けば(14)|エンタメ!|NIKKEI STYLE
大阪はかつて首都だった。7世紀に「大化の改新」として知られる政治改革の舞台となり、官庁を集約して建て並べるなど先進的な構造の難波宮(なにわのみや)が造営された。この遺跡を守り伝えようとする研究者や市民の取り組みは、今も続いている。古代から…

でも「都(みやこ)」という概念はある時代においては、常に一か所ですよね。いやむしろ一か所しかない中枢だから「都(みやこ)」というわけで、言葉の定義そのものに一か所というコンセプトが含まれています。
だからこそ南北朝時代のように都が、権力の中枢が二カ所に分かれると事件になったわけです。

大阪が栄えることは東京人としても大いに結構だと思うんですよ。

djedjによるPixabayからの画像
  
世界で見ても首都と最大都市が別の国は普通にたくさんありますよね。ワシントンとニューヨーク。キャンベラとシドニー、オタワとトロントなどなど。別にそれで良いわけです。

やはり今回の大阪「都」構想、ネーミングを間違えましたよね。
むしろ「都」というネーミングにこだわったあたり、変に東京へのコンプレックスを感じさせて、私が大坂人だとしたらむしろ屈辱的に感じますね。

「都」というネーミングにしろ、大阪特別四区のネーミングも魅力的に感じませんでしたし、そのプラン自体があまり魅力的に感じませんよね。
北区とか中央区と言った、土地の由来や歴史と関係ない地理的、即物的なネーミングって本当に適当即物的で私は結構嫌いです。

せっかく維新もがんばったわけで、大坂の人も応援したい気持ちはたっぷりあったんでしょうが、結局具体案がつまらなかったということにつきるのではないでしょうか。
そんな風に私は感じてしまいます。

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