岡田晴恵氏は総括がないまま、ガーリーな日常で良いのだろうか。

写真週刊誌らしいと言えばらしいけれど、どうせ皮肉を言うなら彼女の専門家らしからぬ新型コロナ感染予測の過大評価と、それを毎日テレビワイドショーで声高に叫び続けたことが、テレビ局のコロナ煽りに専門家のお墨付きを与えてしまい日本国家に甚大な損害を与えたことを追求して欲しかったですね。
テレビから消えたコロナ解説者「岡田晴恵教授」花愛でるガーリーな日常撮 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
新型ウイルスの危険性を訴えるにしても、間違いなくもっと冷静で穏当なやり方があったはずです。
テレビ局などのマスメディアや専門家と一応呼ばれる人が、社会全体にどのような影響があるかということまで十分な斟酌をせず、とにかくコロナ怖い怖いと騒ぎ立てることには、つくづくひと昔前にはしっかりあった社会的エリートの劣化を感じさせました。
【アゴラ掲載】コロナ・インフォデミックの戦犯たち①オウンゴールの構図
今朝からアゴラに掲載いただいています。 コロナのステイホーム生活で、子供も学校休みですから仕事しながら勉強を教えていました。 聖徳太子が604年に制定した十七条の憲法は「和を以て貴しと為し」で始まります。 素晴らしい考え方で、...

もはやマスコミ社員も大学教授もエリートとは呼べないのでしょうね。
恵まれた立場、社会的リーダーとしての矜持はまったくなく、多少優遇されたポジションの維持に汲々とし、卑屈な言い訳だけを用意している。今回のコロナ煽りでも「私は私なりに社会のためを思って警鐘を鳴らした」と言うわけです。

Jill WellingtonによるPixabayからの画像

ですが、それでは社会を導くリーダーとしてはダメなんです。
部分最適しか考えられないのは、現場の木っ端役人です。
結果責任、全体最適に思いを致してこそ、公共の電波を使い、大学教授としての役割を果たせるわけです。

「ノーブレスオブリージュ(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある)」という言葉は階級社会でない日本ではなかなか理解しにくい概念だが、今回「専門家会議」の酷薄な有り様とそれによって今現在もギリギリの苦しみを味わっている社会的弱者の人たちの姿を見て実感した。つまり「オブリージュ」の核心は「弱きが困らない」ということなのだ。しかし今回そんな視点は決定的に欠落していた。

なぜか時代もシチュエーションもまったく違うが、勝海舟の「行政改革というものは、余程注意してやらないと弱い物いじめになるよ。」という言葉が思い浮かんだ。果たしてこの政策が「弱い物いじめ」にならないか、しかるべき立場にいる人間が本来最低限持つべき感性だったのではないだろうか。
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岡田晴恵氏は白鴎大学という大学の教授でらっしゃるそうですが、私は不勉強でその大学を知りませんが、
むろんきっと白鴎大学自体は立派な大学に違いないのでしょう。

しかしながら一般論として粗製濫造された大学は、知的好奇心あふれる学生を確保することもできないでしょうし、
もはや大学教授という肩書に我々が期待する社会的エリートとしての素養を持ち合わせない人物を多数生み出しているに違いないと確信せざるを得ませんね。

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