ハンコはもちろん必要ないけれど、もっと大事なこと

新政権になって、なかなか意欲的な政策方針が提案されています。すべて良い取り組みとは思わないのですが、河野太郎行政改革大臣が役所の仕事でのハンコ原則禁止方針は100%賛成です。(ハンコ業界への事業転換や廃業の支援策は考慮してあげて欲しいですが。)

ネット上でメール、リモート会議で仕事を進める時代、物理的なハンコをもらうというのはやはり大きなボトルネックになります。
そもそも、証明力という点でも簡単にどんなハンコでも作れる時代に本当に形式的な意味しかなく、形骸化していますから、大臣が号令をかけて一斉に変えていくことで現実的にも廃止していけると思います。

(写真:AC)

最近では請求書なども電子的に作成しpdfで送付する関係で、社判のイメージもまったくの電子的なもので、言って見ればデザインに過ぎないわけですが、それで受け取ってもらいやすくなるならばそんな判子イメージ画像を請求書などにレイアウトするぐらいなんということもありません。
とは言え、一体この赤く重々しい字体で書かれたデザインに何の意味があるのだろうか?と、とかく習慣を変えられない世の中の不条理をしみじみいつも感じていました。

私個人の実感としても、新卒から勤めていた広告代理店は比較的に合理性を追求する文化で、あまり形式的な書類主義というものはなかったのですが、上場して以降は確実にそうも言っていられなくなりました。恐らく、上場という公共性が要求することだとは思いますが年々、各業務での証憑を要求されることが多くなり、世の中並に事務処理負荷がかかるようになりましたね。
もちろん必要があって作成する書類であったり、それこそ押印であることは理解しつつも、その事務作業自体が何かを生み出すものでないだけに、心理的にはストレスを禁じ得ませんでした。

そういう意味では、もちろんハンコを廃止すること大賛成。むしろ、ハンコに限らず、どんどんあらゆる書類や決裁を電子化して
不要な書類や書式を廃止して欲しいですね。

私がこのテーマですごく感じるのは、やはり日本人は合理性にこだわらないと強みが発揮できないし、生きていけないだろうということです。やはり資源のない島国です、先人の頑張りでピカピカの道路網、電力網、水道、通信網など社会インフラはどんな国と比較しても十分なものがあると思いますが、今後の人口減社会でそれを維持することさえ簡単ではないはずです。
隣国に、長い停滞の歴史から目覚めようとする中国という覇権主義のモンスターの存在もあり、安閑としていられるとはとても思えません。

やはり世の中が豊かになって、日本人が歴史的に引き継いできた危機感を我々は相当量失ってしまったのかな?と思います。
日本の国力の衰えは、ジェットコースターのような急降下で怖いほどです。
コロナの過剰自粛で、多くの日本人が中国人の下で働くことになるだろう
日本は新型コロナ緊急事態宣言等の政策パッケージはまった効かなかったけれど自然免疫力などのファクターX(山中伸弥教授)によって不戦勝しました。でもオウンゴールの過剰な緊縮政策で経済面でしなくても良かった大敗を喫してしまったと私は考えています。...

でも我々は形式主義に奔走している暇はないと思います。

ハンコ廃止ももちろん結構ですが、日本人が本来持っている、合理主義追求の精神、科学主義を復活させる風土改革こそ必要であるように思いますが、いかがでしょうか。

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