糸井重里師匠でさえ、時代とずれる難しさ

私には、糸井節というか、全盛期の糸井重里氏のコピーを読んでいるようなコピーっぽいツイートに感じられる。

「わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」

騒ぎになるのも234.2万フォロワーがいる影響力ゆえで、もちろんこのツイートに賛同する人も多いです。

しかしながら、確かにこのツイートちょっと全盛期の糸井コピーのようにみんながモヤモヤ感じていることをスパっと文字にしてくれるような痛快なものではありませんでしたね。ちょっと違和感がありました。
糸井重里の代表的コピー

それにしてもネット時代の集合知はすごいですね。
早速、なぜこのツイートがなぜ違和感か分析されている方がいました。
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要は、なんだかんだ上から目線だし、糸井重里氏のコピー自体がすでに誰かを責めている自己矛盾の構造を鋭く指摘されています。
鋭いなー。
もちろん、名コピーライターのテクニックで、その強さをマイルドにする言い方にはなっています(これが糸井節と感じる由縁です。彼のコピーって、ちょっと言い切らないやさしげさというか、モジモジしながら小声でつぶやくがゆえに思わず聞いてしまうような、ちょっとした謙虚さの演出がうまかったように感じます。)

でも今回はそのうまさが見破られた気がします。なんか上手く言っているけど、結局上から目線じゃんとか、このツイート自体が人を責めてるよね。と、見破られてしまっている。

背景としてはやはりメディア環境の変化が大きいかなと感じます。テレビ、新聞、雑誌、ラジオの4マスメディアしかメディアがない時代、しかも免許制度や実質的な寡占で大手マスコミしか情報発信がなかった時代と今の時代がすべてが大きく違ってきています。いわゆる情報の非対称性の崩れというやつで、かつては発信者が圧倒的情報上位に立って「私、発信する人。あなた、黙ってそれを受け取る人」という非対称な関係があったわけですが完全に崩壊していますね。
糸井さんのコピーライター全盛時代はマス全盛時代ですから、自然とそんな時代の感覚が出てしまったようにも感じます。
マスメディア企業も個人もどんどんフラットな同じ土俵での発信をするようになってきています。私自身は、このカオスな時期を経てネットの社会にも厳然たるメディア企業の優劣がついてきて、結局影響力のあるメディアの寡占状態に再編されると思いますし、Yahoo!newsなどはすでに圧倒的地位を確立していますし、旧来のマスコミ企業の何社かはその競争に生き残ってくると思います。
ですけれど、しばらくは個人も入り乱れたカオスが続くと思います。
もちろん決して悪いことではなくて、ちなみに私も本サイト「たんさんタワー」を立ち上げて、この戦乱の時代に討って出ようと企んでいます。正直まだまだ野良サイトの域は出ないのですが、読んでいただいている皆様のおかげで、ゼロから始めた割には、グイグイときてましてやりがいを感じています。本当にいつも読んでいただいている方にはありがとうございます。これからもぜひよろしくお願いいたします。

さて、糸井重里氏の話に戻りますが、糸井重里氏のコピーライターをやめようと思ったときの話がいつも印象深いですよね。

(写真:ほぼ日刊イトイ新聞)
ある大手クライアントの宣伝部長が「コンペであの糸井重里の案を落としてやったぜ~」と吹聴しているのが聴こえてきて、そんなクライアントや代理店との仕事関係が嫌になったからコピーライターをすっぱり辞めたと。
その後がスゴイですよね。motherというゲームを開発したかと思ったら、「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げ、まあ大層時間はかかりましたがメディアとして確立させてしまい、会社を上場までさせてしまいました。本当にスゴイですよね。

そんな時代の一歩も二歩も先を常に歩いてきた往年の名コピーライター糸井重里氏のちょっとしたやらかし騒動。
もちろん糸井重里氏にとってもそんな深刻なものではまったくありませんし、誰もそこまで真剣に怒るような類の話ではありません。
ただ私が感じるのは、
言葉のやり繰りの頂点で勝負してきた糸井重里師匠にしてからの炎上に、今の時代のすさまじさとか、言葉が伝えるものの繊細さ。をあらためてしみじみ感じいってしまったのでした。

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