パチンコ屋は絶賛営業中で、学校・会社は在宅対応。突然変異ウイルスへの抜本対策が不可能な理由。

新型肺炎コロナウイルスの流行で世の中大変なことになってきています。
私の仕事関係先も、続々と在宅勤務となる会社さんが増えてきています。

それはそうなんですが、やっぱり世の中のバタバタしている状況を見ていると、日本人の平和ボケを感じずにはおれません。

本たんさんタワーで連載している「衝撃の書 ホモデウスを読む」でも書かせていただいたのですが、人類にとって致命的なウイルス流行が科学的には起こり得るというシュミレーションをほとんどの日本人がまったくしてなかったわけですが、日本以外ではどうも事情が違っていそうです。冒頭ご紹介した硬派ドキュメンタリー「パンデミック」もNetflixオリジナル作品としてリリースされているわけです。
【第4回 緊急連載】衝撃の書「ホモデウス」を読む – 狩猟採集生活から飼育栽培生活へ
さて、前回紹介した文明論的要素が感じられる米ドラマシリーズ「ウオーキングデッド」の続きです。文明が崩壊し、最初の数年は残った食料を漁る生活です。特に、シリーズの前半では往々悪くないご馳走を発見することもあります。ゴルフ場の豪華なクラブハウス...

ハリウッドでは、人類がいかに滅亡するかというありとあらゆるディストピアシナリオが次から次へとシュミレーションされ映画になっていっていて、ウイルス流行というのは古典的と言って良いほどのメインシナリオとして何度も登場しています。
たかが映画とかSFと思ってしまう方は、ちょっと考え方が古いかもしれない、科学技術の進化スピードが加速している現代はSFの世界の出来事がすごいスピードで現実となっていっており、たかがフィクションなどと笑っておられません。
新型ウイルス発生のメカニズムからして、人類の歴史上かつてありえなかった密度での人口密集や家畜等の高密度、過負担な生産方式、言わば現代病が原因のひとつとの仮説もあるぐらいです。
『サピエンス全史』の著者が「21世紀はSFが最重要」と言う理由
ビジネスパーソンにとって、「SFを愛読している」と言うのはためらいがあるかもしれない。現代社会に生きる上で重要なのは金融や会計のような専門知識や、英語のような実用スキル、過去に実際に起こった歴史など。これらに比べてSFが語る虚構の世界は、大の大人が時間を費やすにはふさわしくない、そう考えている人は少なくない。ところが世...

そんな、普段は平和で清潔、安全を究める国 日本を襲った新型ウイルスです。それはそれでオロオロして当たり前ではありますが、ちょっと感覚的、情緒的な対策になってしまっているように感じて。どうなのよ?とは思います。

例えば、学校や会社は在宅勤務や自宅待機になるのに、繁華街のパチンコ屋さんの前を通るといつも通り?いやもしかしたらいつも以上?に繁盛している?

mercado2によるPixabayからの画像

いやいや、別に薄っぺらな倫理観を振りかざす気は毛頭ないのですが、どう考えてもあの密集した空気の悪い空間で、しかも手でハンドルを握りしめて長時間遊戯するあのスタイルはウイルス対策上はあり得なくないですかね。

つまり、今行われているウイルス対策などというのはまったくのおためごかしであって、私自身そう願っていますが、我々がラッキーでなんとか収束していく類のウイルスであれば良かっただし、可能性は少ないブラックスワンつまりパンデミックに陥るレベルのウイルスであったとしたら、あとで後悔する他ないわけです。

「大騒ぎしすぎ」との声もありますが、確かに今までの突然変異ウイルスと同様ある時点で収束する可能性の方が経験的には高いですから、その時点から振り返れば「大騒ぎしすぎ」が正しかったとなるわけですが、正確には今回のウイルスがどんな性質のものかは今顕微鏡の前で必死に分析している科学者でさえ結論を出していないわけですから誰にも分りません。
先ほどの「パンデミック」などを見れば、少なくとも、科学者は出現率低くても、非常に拡散性が高くて、致命的なウイルスが生まれ得ることを知っているがゆえに畏れているわけです。

先ほどのパチンコ屋さんの例で言えば、未知のウイルスが発生するたびにお店を閉めていては経営は成り立たないでしょうし、パチンコ屋さんは極論としても、すべての我々の社会生活も同様です。

そういう意味では、万一のリスクを完全に封じ込める対処法は現実には存在しないのかもしれません。
どんな突然変異ウイルスにも対応する万能ワクチンの開発にも取り組みがあるようですが、いまだ完成はしていないようです。

今後も突然変異のウイルスはたびたび発生するでしょうし、今回同様その性質に見極めがつくまで社会活動を完全停止するわけにはかないわけですから、結局所詮我々にできることは祈ることぐらいしかないのかもしれません。
そんな対策の現実的難しさまで含めて、つまり突然変異のウイルスが発生するたびに社会活動の停止=万全の拡散防止対応なんて不可能なんんだから、所詮なるようになるしかないとまで見極めて「騒ぎ過ぎ」と言っているとしたら、確かにその論調はかなりのニヒリズムを感じますがその通りかもしれません。

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