記憶に突き刺さる、映画史上最高のシーン

映画の楽しみ方はまさに人様々ですよね。
好みも色々、年齢も性別も色々、人生いろいろですし、好きなように楽しめば良いに違いありません。

特にNetflixやAmazone Prime Videoなどの定額ストリーミングサービスも始まって、映画が見やすいこと見やすいこと。
スマホ片手に電車やベッドでもかじりついたりしています。

でも何と言っても映画ならではの醍醐味の一つには、
映画館でしか見ることができない大画面、大音響のスペクタクル映像があることに、
多くの映画好きの方は賛同してくれるのではないでしょうか。

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記憶に残る映像体験とは

お金や人員を途方もなく投入して、才気にあふれた監督やカメラマンがこだわり抜いてシーンを作り上げる。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、そのワンシーンのためなら何度でも入場料金も払う気になるし、なんならそのシーンだけ繰り返してくれても良い。でも時間にすればせいぜい5分とかのシークエンス。

もちろん優れた映像作家の作品は全シーン、考え抜かれた構図、露出等のカメラワークで撮影されているだけなく、作家性の強い監督であれば、イメージにピッタリの光がくるまで天気待ちで何週間などというこだわりも良く聞きます。
(嗚呼、TVCMの世界でかつてそんな時代もあったようですが。。。)

そんなこだわりを込めて作られたとびっきりの映像、名シーンの数々で我々の記憶に共通なようです。
この記事を書くにあたり検索して色々な方の記事を見て回りましたが、「そうそう、それそれ」の連続でした。

マトリックスのワイアーアクションの戦闘シーン
タクシードライバー、ロバートデニーロ”You talkin’ to me?”のシーン
タイタニック、船頭のシーン
など数え上げればキリがありませんし、
他にも地味な名シーンを人知れず楽しむのも良いと思います。

でも映画でしか表現できないスケールの大きい一大スペクタクルシーン。
それこそ大向こうから「成田屋!」と掛け声したくな名シーンといえばこれではないでしょうか?

『地獄の黙示録』ワルキューレの騎行を拡声器で響かせながら浜辺を機銃掃射するシーン

「ゴッドファーザー」でも有名な巨匠フランシス・フォード・コッポラ。
なぜ彼が巨匠であるか。
ゴッドファーザーを見れば、キャスティング、演技、音楽、撮影、美術、衣装、脚本。すべてが完璧であるとこれほどに映画は素晴らしい芸術にまでなるのかと誰もが感動したはずです。
(ちなみに私が一番好きなコッポラ作品は、ナターシャ・キンスキー主演の切ない映画”One from the Heart”です)
もちろんテーマは重く人間の良い面ばかりを描くわけではない。むしろ暗くて荒っぽくてドロドロした感情を映画だからこそ描き出す。
商業化により今の日本のテレビが完全に失ってしまった、文化性とか芸術性に対する矜持(きょうじ)がまだ映画には残っています。

さてこのシーン、完全に狂っています。
というかこの映画自体が狂っています。
狂っているからこそ、戦争の狂気がリアルに迫ってきます。

まずUH-1ヘリコプターがいかにもおどろおどろしい。
米軍の大型ヘリコプターはアパッチや、大統領専用のマリーンワンなんかもそうですが、とにかくデカいし。イカツイ。
見てるだけで相手が圧倒される存在感です。

ローターが回りだせば、空気をバカ力(じから)でかき回し、ドロドロとした爆音が響き渡ります。
それが編隊で迫ってくる。これほど、ベトナム人から見たアメリカというもの、その威圧感への恐怖をビジュアルで表現する絵柄はないはずです。

そしてもちろんワーグナー「ワルキューレの騎行」序曲です。
そもそもワーグナーの楽曲はナチスが戦意高揚のために利用したこともありいわくつきです。
でも、音楽に罪はない。

ワーグナーならではの人間界のものとばかり思えない、高揚感というのはなんなんでしょうか。
木管楽器の不協和音が不穏が囁き始め、狂おしいようなうねりとともに徐々に高まったかと思えば絶頂では金管楽器のファンファーレが甲高く鳴り響く。まさに脳天に響き渡るような音響です。

それをヘリに取り付けた拡声器から大音響で響き渡らせながら、ベトナムの美しいビーチ沿いの村々を機銃掃射していく。
カメラは。ヘリからの視点です。

バタバタと村人が撃たれ、村人が住む小屋に火がついていきます。
まさに地獄、狂気以外の何ものでもないではですか。

芸術としての映画を薄っぺらな意味論で解釈したくない

意味論や政治論でこのシーンをどうとらえるかはまた別の問題です。
映画的デフォルメはあるにしても。ベトナムでこのような地獄絵図があったことは事実です。
芸術は人間が行った愚行や蛮行を含めて描かずにはおれないですし、それが意味論を超えた芸術なのです。
我々はブリューゲルの絵画を見るような見方でこの芸術を見るべきなのだと思います。

撮影で本物の死体が使われたとか、コッポラのこだわりのあまり何度となく予算ショートを起こし完成が危ぶまれたなど色々な伝説・逸話に彩られている「地獄の黙示録」ですが、こだわり抜いただけの価値がある、人類至高の映画芸術の粋であると思います。

なんとIMAXで「地獄の黙示録」が再上映されるらしい

なぜこの記事を今書いているかと言いますと、なんと「地獄の黙示録」がIMAXで再上映されるとのことなのです。
「地獄の黙示録 ファイナル・カット」IMAXで公開。"内臓揺さぶる"サウンド
公開から40周年となるフランシス・フォード・コッポラ監督による映画「地獄の黙示録」。劇場公開版より30分長い2001年の特別完全版をさらに再編集、新たにデジタル修復を施した「地獄の黙示録 ファイナル・カット」が'20年2月28日より全国IMAXシアターにて期間限定で上映される。これに先立ち、アメリカのグラフィック・デザ...

この傑作を最高スペックの劇場、スクリーンで見ることができるのは間違いなく映画好きにとって稀有な機会となるはずです。
(下記は私が過去SankeiBizに寄稿した、IMAXの魅力を解説する記事です。よろしければあわせてお読みください)
【SankeiBiz掲載】「IMAX」 身近で特別な映像体験のブランディングとは?
SankeiBizに連載いただいている「ブランドウオッチング」の新記事が今朝より掲載されました。 外でお金を使うレジャーの参加率が激しく下がり、スマホや「家飲み」など家を出ない方向に我々日本人の生活トレンドはここ10年ほどで大きくシフ...

オリンピックとワールドカップがダブルで日本に来たようなものかもしれません。
見にいこうではありませんか。人類が映画という表現で到達した、最高の芸術を!

<写真:Wiki,amazoneより>
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