みんな、蛭子能収さんをナメてないですか?

この「なんでもない日のなんでもない話」のカテゴリーでは、SankeiBizやアゴラに寄稿させて頂く記事とは違い、秋月涼佑が気まぐれに、思いのままを、ちょっとカジュアルに書かせて頂きます。

本サイトオリジナル記事で、ウエッブメディアへの寄稿が無かった日を中心に、なるべくマメに書いていこうと思いますので、ぜひサイトをブックマークして読んでくださいね。

さて、昨晩テレビを見ていたら、蛭子能収さんと、長嶋一茂さん、いとうあさこさんが
テレビ東京「長嶋一茂&石原良純いきなりやってみた!」という番組で共演していた。

<写真:テレビ東京ホームページより>

「蛭子能収さんと、」とは書いたが、基本的にはメインの長嶋さんが仕切り、いとうさんがフォローして、例によって蛭子さんは「しどろもどろ」付いていくというあくまで我を出さない、持ち味通りの「負ける」スタイルでの出演だった。

番組自体は面白かったが、気になったのはこの3人の組み合わせだ。
一言で言うと、蛭子さんが可哀想だなと。

長嶋一茂さんと言えば、プロ野球選手としては今一つ成功できず、親の七光り的な注目でタレント活動を始めたせいか、長らくちょっと自信なさげの感もあって今一つブレイクしなかった。しかし、最近ふっきれたのか、七光り含めて自分の地でいくキャラで大人気だ。
確かに、ちょっと天真爛漫で大雑把な感じが見ていて面白い。

ただ、その唯我独尊というか、我を殺さない芸風の言わば「勝っていく」キャラが、どうも蛭子さんの「負ける」キャラと相性が悪い。蛭子さんが負け過ぎてしまうのだ。
雰囲気としては、「おじさん(蛭子)何やってんの!」の連続と言うか。
しかも、いとうあさこさんも、人気者の長嶋さんに完全に迎合してしまっていて、声がでかいボスキャラにかしずく合コン女子よろしく、長嶋さんへのツコッミを完全封印し、蛭子さん煽りに同調するというあり様。なんだか、しょぼい飲み会を見ているような感じ、とでも言うのだろうか。

多分、長嶋一茂氏は全く知らないのだろう。
蛭子能収さんが漫画家として素晴らしい天才であることを。
絵はヘタウマの極致だが、その白昼夢的でシュールな世界観は、蛭子能収さんがマンガを描いていた当時(1980年代)のサブカルチャー界に相当な衝撃を与えていた。
青林堂系というか、当時蛭子能収さんや泉昌之(孤独のグルメの久住昌之氏と泉晴紀氏のコラボ)、根本敬氏など、ちょっとインディーズだけど、とんでもなくクリエイティブな作家が沢山活躍していた。つげ義春氏の系譜を引き継ぐ、まさにマンガと言う表現の極北を切り拓く作家達だったのである。

私にとっては、リスペクトレベル80%の蛭子能収さんに対し、芸能人として嫌いではないもののリスペクト心は湧かない長嶋一茂さんが、上から目線で振る舞う絵柄がどうにも耐えられなかったのだ。もちろん、「負ける」キャラを持ち味にしている芸能人としての蛭子能収氏だから、これはこれで良かったのかもしれないのだけれど、さすがに長嶋一茂さんにツッコまれるのが不快そうな一瞬の表情があった。
その一瞬に、狂気の作家としての蛭子能収を垣間見れた気がする。

あーあ、蛭子さんまたマンガ書いてくれないかな。

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