【第10回】衝撃の書「ホモデウスを読む」 – 我々のなかのサル

この新たな平和は、ただのヒッピーの幻想ではない。飽くことなく権力を追い求める政府も、強欲な企業も、やはりこの新たな平和を頼みとしている。メルセデス・ベンツが東ヨーロッパで販売戦略の構想を練るときには、ドイツがポーランドを征服する可能性は考慮に入れない。低賃金の労働者にフィリピンから来てもらっている企業は、来年インドネシアがフィリピンを侵略することを心配してはいない。

ユヴァル・ノア・ハラリ. ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 (Kindle の位置No.346-350). 河出書房新社. Kindle 版.
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なんと言っても暴力の脅威にさらされていないことが、生産的な生活を送る上で第1条件です。いつ襲われるか奪われるかわからない中では、誰もオチオチ農業に取り組んだり、発明をしたりする余裕はありません。身を守るためにビクビクすることがギリギリ精いっぱいの行動になる他ないのです。
「互いに争わないこと」はお互いに限りないメリットがあることは明白です。ゼロサムゲームでわずかな食料や家財、人間を奴隷として奪い合っても富の総量は増えません。きっぱりと暴力から手を引いて、何かを狩ってくるか拾ってくる、もしくはもっと良いのは何かを生み出す活動に専念したほうが、お互いが戦いで消耗疲弊するよりもはるかに良いという当たり前の結論になぜ人類は700万年の間気が付かなかったのでしょうか。

なぜこの100年で、我々だけが奇跡のように本格的な平和という状態に近づいたのでしょうか。ハラリはその理由を、核という一度の使用が自殺行為になり得る兵器の発明。他にも、下記引用文のように、現代人類にとって知識が最大の資源になったことが、戦争のベネフィットを喪失させたという、さすがになるほどという指摘をしています。

同時に、世界経済は物を基盤とする経済から知識を基盤とする経済へと変容した。以前は、富の主な源泉は、金鉱や麦畑や油田といった有形資産だった。それが今日では、富の主な源泉は知識だ。そして、油田は戦争で奪取できるのに対して、知識はそうはいかない。したがって、知識が最も重要な経済的資源になると、戦争で得るものが減り、戦争は、中東や中央アフリカといった、物を基盤とする経済に相変わらず依存する旧態依然とした地域に、しだいに限られるようになった。

ユヴァル・ノア・ハラリ. ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 (Kindle の位置No.325-329). 河出書房新社. Kindle 版.

もっと言えば、非常に楽観的に、我々は700万年も人類をやってきているわけですから、いいかげんバカげた暴力行為を卒業し、一段階賢くなったのだと考えたい。言わば700万年をかけて人類はサピエンス2.0にアップグレードしたのだと考えられればどんなに良いでしょう。お互いが目先の損得ではなく、共通利害を深く理解し、賢明な大人になったのだから、もはや戦争しなくてよくなったのだと言えればどんなに良いでしょう。ヤンチャだった子供が分別のある大人になるように。
そう考えたいところなのですが、果たしてどうでしょう。巷では日々粗暴な個人が、とんでもなく意味不明な暴力事件を起こしてはいませんか?どんなに99%が賢明でも、1%の狂気に崩壊しなねないのが現代の核の均衡による平和でもあります。あまりこの点楽観はできないような気がしています。

そんなサピエンスの本性を考える上で参考になるのが、いわゆる「猿学」です。進化の過程で我々サピエンスと分岐した親戚に、「チンパンジー」と「ボノボ」がいます。
一番わかりやすいオススメは霊長学者による下記の本です。
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とにかく、人類の親戚であるこの二つの種まったく性質が真逆らしいのです。「チンパンジー」はあのユーモラスな見た目と裏腹に、とにかく狂暴とのこと。お互いに殺し合うことを天性としているらしいのです。

<チンパンジー:写真公益財団法人東京動物園協会より>
一方の「ボノボ」は、あまりポピュラーな生き物ではないのですが、とにかく平和愛好家とのこと。お互いに仲良くなるためだけにセックスしたり、なかなか楽しい生物らしいのです。もしやかつてのヒッピームーブメントはボノボの生態にヒントを得たのでしょうか。

<ボノボ:Wikipediaより>
何にしても、この霊長学者によれば、サピエンスというのは「チンパンジー」の狂暴性、攻撃性と「ボノボ」の平和志向、博愛精神の両極をハイブリッドで備えたから、これほどすごい進化をしたのではないかとのことなのです。獰猛なまでに、進化や征服へのあくなき追求をする気質と、一方でお互いに協力し気遣う性質も両面でもっているという特異な存在が「人類」だとのことなのです。

逆に言えば、それが進化の結果の性質であるとすれば、人類の攻撃性、暴力性を完全に封じ込めることは難しいのかもしれません。悲観的なようですが、人類はその性質ゆえに圧倒的な進化をとげ、ついに「平和」という究極の価値を実現するに至りました。一方で、その進化の結果得た力ゆえに、その狂暴性のパンドラの箱を開けてしまう輩が、このつかの間の平和どころか人類の歴史自体に終止符をうつ断崖絶壁のような瞬間に、刻々と近づいてしまっているのかもしれないのです。

そんなことを考えると、日々のニュースとしては、単なるはぐれモノの粗暴犯が思い付きのように発揮するチンパンジーと同種の狂暴性に、その出来事自体の凄惨もさることながら、どうしょうも抑えきれない人類自体の宿命を暗示されているような暗澹たる気分になってしまうのです。

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