【第46回 家族に障害児がいます from N.Y.】彷徨える親子

 「あ~、明日はどこに行こうかなぁ」この心の中のつぶやきは週末や祝日、そして学校がお休みの時に必ず思うことである。そう、私達親子にはお出かけ先の選択肢が少ない。行ける場所と行きたい場所のせめぎ合い。一番の問題は、年齢と共に乖離していく実年齢と精神年齢。そして知的な遅れが絡んできて年相応の場所にいけない上に、精神年齢に合わせた場所も体が大きくなると共に利用出来なくなる場所も出てくる。そもそも知的な遅れがある息子は、普通のお子様達が楽しめることを同じように楽しむということが難しい。更に世界の中心にいるのは自分とでも思っているのでは、と疑うほどに他者の存在があまり認識されていない。物事のルールを理解する能力が乏しく、年相応の遊び方が出来ないために当人は幼児を対象とするような遊び場に興味を示す。しかしそんな場所には連れていけない。とにかくトラブルを避けるために人混みを避け、静かすぎるような場所を回避し、単純に息子が喜ぶことを探す。結果、行ける場所、出来ることの選択肢は少なくなるのだ。仕方ない、これも運命。家でジッとしていたり、ひたすらにゲームに没頭するような子供だったら自宅でゆっくりと過ごすという選択肢もあるけれど、元々とても多動な我が息子。家でずっとiPad尽くしなのも飽きがくる。すると家の中でもドタドタと走り回ったりジャンプしたり、とにかくうるさい。近所にも迷惑だし、取り合えず屋外に連れ出して彼の無駄なエネルギーを少しでも減らしたいのが親としての心境だ。しかし連れ出す場所もそんなに無い。取り合えず乗り物に乗ることが大好きな彼のために、地下鉄に乗ったりバスに乗ったり、時々はフェリーに乗ったりして少しでも満足してくれたらと願いながらお出掛けする。目的地は全くないけれど、今は息子の希望するままに動くようにしている。ショッピングモールなどの比較的広いスペースのある屋内などが好きなようだ。エレベーターに乗ったりエスカレーターに乗ったり、とにかく動く物に乗ることが大事。そして高所から眺める景色も何か心を躍らせるものがあるようだ。もっと彼が小さい頃に動物園や小さいお子様向けの遊園地、そしてミュージアムなどにも連れていったことがあったけれど、どれも全く目的通りの楽しみ方はせずに動物園では動物に関心を向けることはなく、何かに取りつかれたかのように走り回る。遊園地では騒音に耳を塞ぎ、保護者が同乗出来ない小さい子供向けのティーカップに乗り込んだ時は、シートベルトもせずに回るティーカップの中で仁王立ちという有様。注意する遊園地スタッフの言葉は彼の脳内には届かず、仕方なく親も同乗するということで解決。

kusuriyaによるPixabayからの画像

 
サイエンスミュージアムに行った際には、数々の子供向け体験形式で科学を学べる展示物がある中で、それらのものにほとんど関心を向けずに広い博物館内を小走り状態で徘徊し、最終的にはエレベーターでの乗降を繰り返すという悪夢。もう全然どこへ連れていっても、望んだ通りの反応は得られずに、ただただ走り回る息子を追いかけまわして制止するという行為を繰り返すだけ。散々な思いを経験した現在は、もう息子をどこか特別な場所に連れて行こうという気力さえ失ってしまった。しかし一体どこへ行けば親子で安心して楽しく過ごせるのだろう?自然豊かな場所だったらのびのびと遊べるだろうかと思い、郊外の木々が生い茂るような場所に連れて行っても無関心。彼の関心は人工的に作られた動く物が大半。外出する度に願うのは、トラブルにならずに無事に帰ることだけ。突発的に奇声をあげながら跳ね続けたり、向かいから並んで歩いてくる人達の間を割って走り抜けたり、制止を無視して突然走りだしたりしないことを祈るわけだけど、ほとんど祈りが通じたことが無い。何処に行っても居場所を見つけることが叶わない毎日だ。こんな家族が我が家だけでなく、この地球上に他にもいるだろうと思っているけれど生憎街中で見かけたことは殆んど無い。他のご家族は一体どうやって休日などの時間を潰しているのだろうか。私のこの悶々とした気持ちが晴れることは今後も多分、いやきっと無いのだろうなと諦めている。諦める方が心が安定するのだから、無駄に希望にしがみつくこともないだろう。
                                    

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