【第43回 家族に障害児がいます from N.Y.】体と脳の成長のギャップに怯える

我が子は今年で13歳になる。普通であれば思春期にさしかかり、精神的にも肉体的にも成長に伴う難しさも抱える年代だと思われる。しかし我が家の息子の場合、知的な遅れもあるため彼の精神年齢は未だに4,5歳くらいだと思われる。毎日観ているYouTubeも幼児向けのものを好んで選んでいるようだ。しかし脳内年齢とは別に、体の方は年々成長し大きくなってきている。身長も伸び、体重も増え、精神年齢は幼児だとしても成長と供にホルモンも活性化してくるらしい。今後は髭も生えてくるだろうし、声変わりもするのかもしれない。(話さないから声が変わっても気付けるかは不明)本人が体の変化に気付くかどうか分からないけれど、こちらも変化に注意しながら介助していかなければならないことも増えてくるだろう。今でもお風呂も歯磨きも親の介助無しには出来ないところに、今後は髭剃りという業務も増えるのか、、、と思ったらげんなりしてくる。刃物を扱うことを考えると、多動の我が子にジッとしていてもらうことを徹底的に教え込まないといけない。これがなかなか難しい。突然動いたりするので本当に気が抜けない。しかしこういうことは家庭内で解決していくことなのでまだ良いのだが、問題は公共の場での行動だ。何しろ体の大きな幼児みたいな存在なので、見た目と行動が伴わないことが多々起きるのだ。例えばこちらには「Chuck E.Chees」という子供向けゲームセンター&ピザレストランなる場所があるのだが、息子は時々そこへ行きたがる。行くのは良いのだが問題は遊び方だ。普通、幼児以上の年齢になるとゲーム機で遊ぶことが圧倒的に多いのだけど、息子の場合は未だに幼児向けの乗り物に乗りたがる。そして乗る。完全にオーバーサイズなのに無理やり乗り物に乗り込み、もの凄くきつくなっているシートベルトをきちんと閉め、乗り物に揺られながら嬉々として乗車を楽しんでいる。まぁ微笑ましい光景でもあるけれど、見方を変えれば結構不気味だ。そこそこ体の大きい子が幼児が遊ぶ場所で奇声をあげて喜んでいる姿。実際、他の子供から異様なものを見る目つきで見られることもある。当の本人が気付いていないのが救いなのかどうなのか悩ましいところだ。本人も小さい頃ほどの感動は無いようだが、他に楽しむ物がないことと過去に楽しかったという記憶があるので同じような乗り物に乗って楽しもうとする。だが以前ほどの感動がないため途中で飽きて乗り物がまだ動いているにいも関わらず、さっさと立ち去ってしまうこともある。


Markus DistelrathによるPixabayからの画像

どうにかもう少し違う遊び方を教えたいと思い、まずはとても簡単なゲーム機に誘うのだがゲームが始まってすぐにルールが分からないからなのか、あっという間に興味を失ってどこかへ行ってしまう。モグラ叩きのような簡単なゲームですら理解に乏しいらしく、何の対象物を叩くのかもよく分かっていないようだ。適当にハンマーを振るったのちにあっという間にどこかへ行ってしまうのだ。こういう風に実年齢と行動にどんどんギャップが出てくることで、段々と遊びに行ける場所も狭まっていってしまう恐怖が常に付きまとうようになってくる。彼が関心を示す場所は年齢制限上行けない場所になってしまう場合もある。普通は子供の身体的な成長も親の喜びになると思うけれど、私の場合は結構複雑な気持ちになってしまう。このままずっと子供のままだったら良いのに、、、と正直思ってしまうのだ。体は大人になっても、精神面の発達が遅れていることにより顔の表情や雰囲気が年相応に見えずに何とも不思議なギャップが生まれやすい。子供の頃は何となく許されていることも、大人になるとそうもいかなくなることもあるだろう。大人の体で子供の頃と同じような癇癪を外出先でされた場合、周りの人も恐怖を感じることは容易に想像出来る。まだまだ息子は子供と判断される年齢ではあるけれど子供の成長はあっという間だ。多くの人達が辿らない成長曲線を歩むとなると未知の感覚で不安も大きくなってくる。何年経ってもなかなか理解出来ないことも多いし、難しさも厳しさも新たな形で変わらず存在しつづける現実に打ちのめされない人生でありたいと願うばかりだ。

【過去記事一覧へ】家族に障害児がいます from N.Y.

記事の更新情報をお届けしています。ぜひフォーローください。


facebookはこちらから。

タイトルとURLをコピーしました