【第35回 家族に障害児がいます from N.Y.】共感が欲しい

生まれつき共感性が乏しいというのが自閉症の特徴ではあるのだけれど、ここまでとことん共感性が無いと虚しい気持ちになる。彼は完全に自己中心的な世界の中の住人で、私は彼の人生ドラマに頻繁に現れるキャストの一人っていう感じ。でも重要人物の一人だとは思われていると思う。何しろ私の顔色だけは伺ってくるから。でも同じ物を見て「綺麗」とか「面白い」など感情を共感し合えることはない。「楽しい」「苦しい」「悲しい」など感情に共感することもない。私が悲しい素振りを見せても、具合が悪くて寝込んでいても、彼の心に訴えるものは何もないらしい。常に自分の要求だけを伝えてくる人との生活はそこはかとない虚しさが漂うものである。一度でよいから同じものを食べて「美味しいね」とか、面白いものを観て「笑えるねぇ~」とか言い合ってみたいなって思うけれど、これは我が家にとっては遥か彼方にある夢のまた夢のような話である。他者との関係が近づくきっかけは、共感することがあるかないかという点が多いにあると思う。なので我が子が人間関係を築くのは非常に難しいというのは至極当然。ただ本人が何も気づいていないので、寂しいという感情に囚われすぎることがないだろうということが不幸中の幸いなのかもしれない。このまま一生その感情に気付かずに過ごせるのか、それとも途中で気付いて寂しい想いにさいなまれるのかは神のみぞ知る。親としてもここは非常に難しいところで、中途半端に自分と他者との違いに気付いて苦しむのだったら、今のように全く気付かず自分の世界の中で楽しく過ごして欲しいという気持ちも無いわけではない。親としては子供の気持ちを知りたい欲望はあるけれど、知らないからどこか平和に暮らせている部分もあるのかもしれないとも思う。本当に難しいところだ。自閉症の人は相手の気持ちを理解することが難しいとは言われるけれど、理解どころか相手に感情があることを分かっているのかどうかすら怪しいレベルの我が子。子供に過度な期待は禁物。元気に明るく過ごしてくれればいいやとという感じでかなり諦め気味。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

親子間での共感性が無いことは半ば諦めの境地だが、出来ればこの困難や悩みを誰かとシェアしたいと切望。まずは夫婦間。夫婦の間で問題認識の共有や問題解決への意識の確認。そして愚痴や悩みを許容する関係があれば、困難な子育てにも何とか向き合っていくことが出来るだろう。中には夫婦のどちらかの理解を得られず子育て以上のストレスを抱えている人もいるし、親族からの無理解に悩まされている人も多いと思う。本当に身近な人達からの心無い言葉とか態度は、障害児から与えられる苦痛よりも大きいと思う。理解して欲しいとまでは思わないけれど、生温く見守ってくれたらなと願わずにはいられない。そして育児は誰にとっても大きな挑戦だけれども、その中でも自閉症、取り分け我が家のような知的な遅れを持っている子供を相手にすることは本当に分からないことだらけで不安と焦りとイライラの複合要素で日々混沌とし過ぎて訳が分からない状態になることがしばしば。そんな時に悩みを言い合えたり、ちょっとしたアイディアやアドバイスをくれたりする同じような子供を育てている親との出会いは貴重。妙な励ましなんていらない。ただただ「そうだよね。分かる。本当にそういうところ厄介だよね。」と共感してくれる存在は何よりも有難い。そうやって気持ちを受け止めてもらえることで元気を貰え、また頑張る活力に繋がっていくのだ。何もかも一人で抱えて頑張ることは難しい。家族の中だけで問題を抱えることにも限界はある。他者に愚痴や弱音を吐くことはとても大事で、そうすることで前向きになれるのだと思う。大変なのは自分だけじゃないと思うことが元気の素にもなれるのだ。いつも私の弱音を受け止めてくれる家族や貴重な友人達には感謝しかない。 改めて人は一人では生きていけないと感じる毎日だ。

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